ㅤ低山跋渉私史 その9  1991年〜1995年ㅤ

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その2
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その3
1982-84
その4
1985
その5
1986
その6
1987
その7
1988-89
その8
1989-90
その9
1991-95
その10
1996以降
その11
2001-05
その12
2006
その13
2007-09
その14
2010-12
その15
2013-17
         

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平成3(1991)年2月2日 −愛宕山−

阪急嵐山駅=清滝→(表参道)→愛宕山→(表参道)→清滝=阪急嵐山駅

【一言】神社で会社の同僚とバッタリ出くわし、月輪寺か神護寺へ降りる予定がつられて参道を連れもて引き返すことになった。
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平成3(1991)年5月2日 −門森峠〜室生寺−

近鉄室生口大野駅→大野寺→一乃渡橋→(東海自然歩道)→門森峠(530m)→室生寺=室生口大野駅

【一言】室生は何度か訪れたが、東海自然歩道を経由したのははじめて。カメラが不調で撮れた映像は2枚、しかも1枚は二重露出(!)もう1枚はこの通り巻き上げ不良で五重塔が四重の塔になってしまった。
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平成4(1992)年8月8日 −志賀高原逍遥−

(志賀高原)横手山/前山リフト→渋池→四十八池→裏志賀山→志賀山→前山リフト

【一言】上は横手山(2,305m)から笠ヶ岳(2,075m)と遠くアルプスを望む。近景にニッコウキスゲが満開。
下は四十八池から登った志賀山の頂上(2,035m)。
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平成4(1992)年10月10日 −武奈ヶ岳−

比良山上→八雲ヶ原湿原→イブルキのコバ→武奈ヶ岳(1,214.4m)→細川峠→広谷→イブルキのコバ→八雲ヶ原湿原→比良山上

【一言】DMC有志4人でおかしな日和をついて出かけたら、山上で案の定雨。頂上ではカッパを着たまま食事をし、夕闇迫るケーブル駅に辿りついたときはずぶ濡れであった。下界は晴れていたのに。
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平成4(1992)年11月7日 −柳生街道−

興福寺・南圓堂・五重塔(バス)→忍辱山圓成寺拝観→東海自然歩道→誓多林(せたりん)→峠下集落→峠の茶屋→地獄谷石窟仏→穴仏→首切地蔵→滝坂道→朝日観音(実は弥勒、左右は地蔵)→寝仏→夕日観音→高畑→白亳寺→新薬師寺

【一言】時間設定を間違えて興福寺一周、昼食後バスで出発という体たらくだったが、紅葉の圓成寺はすばらしく、滑って転んだ滝坂の道とあわせて初体験ハイキングは成功であった。
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平成5(1993)年1月3日 −愛宕山−

阪急嵐山駅=清滝→(表参道)→愛宕山→首無地蔵→(梨ノ木谷)→清滝=阪急嵐山駅

【一言】あまり有名でない梨ノ木谷を下った。
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平成5(1993)年5月4日 −田能〜金蔵寺−

JR高槻駅=田能バス停(高槻花しょうぶ園)→中畑→外畑→<出灰出合>→善峰寺分岐(436m:東海自然歩道)→産ノ滝→金蔵寺→坂本→南春日バス停=阪急東向日駅

【一言】季節的に菖蒲の時期でなく、水芭蕉やシャクナゲ、ツツジ見物になってしまった。帰りのバスが待ちきれず予定外のコース取りで金蔵寺に出た。
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平成5(1993)年6月5日 −焼額山−

(志賀高原)一ノ瀬→ワラビ平→焼額山(2,010m)→1,960mピーク→奥志賀高原

【一言】スキー場として名高い奥志賀の山を歩く。残雪の中にミズバショウが咲いていた。奥志賀高原ホテルではタッチの差でメシにありつけず、チョコレートで飢え?を凌いだ。
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平成6(1994)年2月11日 −愛宕山−

阪急嵐山駅=清滝→(表参道)→愛宕山→月輪寺→清滝=阪急嵐山駅

【一言】前後7回登っている愛宕山だが、積雪が多かったのは今回が最高。妙な格好に写っているのは足許が不確かなせいか。
樹氷がみごとだ。
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平成6(1994)年8月20日 −本白根山−

(志賀高原)白根レストハウス→白根火山展望所(2,070m)→本白根最高地点(2,150m)→万座温泉

【一言】雨の白根火山火口湖を見たあと、本白根火口を一周し、万座温泉へ下った。バスがなくホテルにSOS電話をしたのはこのとき。★生憎の雨。 マイクロを無理お願いして白根火山へ10時出発。僅か15分位の登りがジャジャ降り。あと11時トウモロコシを食べ、6人で本白根へ。(N原、T本F、K川、I野、M武、W地。M武さんは朝一番夜行バスで到着したばかり)。タラタラ1時間で火口到着。休憩後予定を変更し、鏡池をやめ、万座へ降りることにする。途中また雨になり、難渋。3時半降りたものの、バスは4:10。白根火山でバスなく、置いてけぼりになり、観光バス、タクシー等当るがだめ。結局ホテルに電話してマイクロを出してもらうこととなる。
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(この写真は当日のものではない)

平成6(1994)年10月10日 −三草山−

能勢電山下駅=森上→三草山(564m)→汐の湯=山下駅

【一言】天正時代、能勢氏と塩川氏の争いの舞台になった歴史の山というから、「み・いくさ・やま」の転訛かも知れない。兵庫県東条湖の北西にある三草山も源平争乱の戦場だったという。。。帰途汐の湯へ足を伸ばして喫茶後帰宅。

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(この写真は当日のものではない)

平成6(1994)年10月29日 −行者山−

能勢電山下駅=森上→浮峠→玉泉寺→行者山(469m)→宿野=能勢電日生中央駅

【一言】剣尾山の前衛峰。剣尾山を目指しながら途中の行者山で断念、下山した。頂上には岩に線刻・彩色した仏像がある。

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平成7(1995)年8月22日 −モンセラット−

バルセロナ=(バス)モンセラット修道院【往復】

【一言】ニュルンベルク・バルセロナ演奏旅行の5日目メンバー打ち揃ってバスでモンセラット修道院を訪う。その巨大で異様な岩峰群に言葉を失い、午後のミサではエスコラニア少年合唱隊の歌声に聞き惚れて、ケーブルで山頂へという当初予定はあえなく潰え去った。背後に聳えるこの山(サン・ジャロニ)のピークは1,236m。修道院はその中腹・725mにあるという。
【→写真日記

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(この写真は当日のものではない)

平成7(1995)年11月23日 −妙見山−

千里中央=北摂霊園→高山→高山口=妙見山(ケーブル)黒川→能勢電妙見口駅

【一言】高山の郷を歩くことが主目的で、余野川筋に下りたらたまたまバスがあったので妙見さんに行ったという甚だもってイージーゴーイングなハイキング。