ㅤ低山跋渉私史 その5  1986年ㅤ

その1
1951-76
その2
1977-82
その3
1982-84
その4
1985
その5
1986
その6
1987
その7
1988-89
その8
1989-90
その9
1991-95
その10
1996以降
その11
2001-05
その12
2006
その13
2007-09
その14
2010-12
その15
2013-17
         

昭和61(1986)年1月18日 −愛宕山−

阪急嵐山駅=清滝→月輪寺→愛宕山(924m)→首無地蔵→神護寺=阪急大宮駅

【一言】このほか清滝から登ったり、また水尾へ下山したりしている。月輪寺から登ったのはこのとき限り。写真は神社直下の石段。1月にしては珍しく雪がほとんどない。
【→写真集

昭和61(1986)年2月1日 −高見山−

近鉄榛原駅=高見山登山口→小峠→高見山頂上(1,248m)→平野=近鉄榛原駅

【一言】会社同僚と2回目の高見山。雪は比較的少なかった。S木君が頂上でリュックから人数分の缶ビールを取り出して配ってくれたのにはびっくりしたが、味はあまり覚えていない。帰途は平野へ下り、バスがないので往復ともタクシーだった。
【→写真集

昭和61(1986)年2月15日 −葛城山−

近鉄御所駅=名柄→水越峠→葛城山(959m)→(新登山道)→葛城山ロープウェイ(下)駅=近鉄御所駅

【一言】よく歩いたとの記憶。水越峠からの登りまでは快晴だったが、頂上で昼食準備時吹雪になってガスコンロの炎が飛ぶ始末。レトルトを半煮えのまま食べた。登山道が通行止めで代替として降りた新道が20cm以上の深さの泥道となっており難渋した。
【→日記

昭和61(1986)年3月1日 岩湧山(いわわきさん)

南海紀見峠駅→越ガ滝→岩湧山(897m)→[滑落!]→岩湧寺→竹のタワ→南海天見駅

【一言】昼過ぎまで雪の登山。山頂近くで夢幻的な霧氷に出会う。岩湧寺への下りをショートカットしようとして途中で10m余り滑落。痛む右膝を引きずって一山越え、なんとか帰宅したが、翌日入院してギプスを巻かれ、1ヵ月欠勤する羽目に陥る。
【→日記

昭和61(1986)年10月19日 瓢箪崩山(ひょうたんくずれ・・)

京阪三条駅=戸寺(大原)→寒谷峠→瓢箪崩山(532m)→寒谷峠→飛騨の池→京福岩倉駅

【一言】退院後半年、足慣らしの意味を込めてはじめての“山”行き。京都市左京区岩倉の裏山。寒谷峠は大原との要衝でもあったのだろうか。でもあまりにも知られていないところではある。三角点はある(左写真足許に写っている)が、見晴らしのほとんどない山頂であった。珍名山の一つ。
【→日記

昭和61(1986)年11月2日 翠黛山(すいたい・・)・金毘羅山−

京阪三条駅=大原(寂光院)→翠黛山(577m)→金毘羅山(573m)→江文峠→(東海自然歩道)→静原→薬王坂→京福鞍馬駅

【一言】寂光院を少し入ったところが取っ付き。この2峰は結構な岩場のあるコース。写真は金毘羅山頂上の奥宮付近。これだけでは距離があまりないので静原を歩き、薬王坂から鞍馬へ抜けた。
【→日記

昭和61(1986)年11月9日 −竜王山−

JR茨木駅=忍頂寺→竜王山(510m)→車作大橋=JR茨木駅

【一言】SB合唱団メンバー有志は家族帯同で近場をよく歩いた。この日は山を下りた時点で雨に見舞われ、摂津峡まで足を延ばすことができなかった。
【→写真集

昭和61(1986)年11月23日 −剣尾山−

能勢電山下駅=森上→浮峠→玉泉寺→行者山→剣尾山(784m)→行者山→山辺→月峰寺→宿野=能勢電山下駅

【一言】剣尾山初お目見え。青少年野外活動センターへの下山を断念し、山頂から集落に下りたという月峰寺を尋ねて山辺から宿野を歩いた。
【→日記