ㅤ門森峠から室生寺へ  平成3(1991)年5月2日ㅤ

 

 前からY子さんに約束していた石楠花の室生寺が、大型連休になったこの5月1〜2日が絶好のチャンスと考え、その日がやってきた。天気予報はもう一つだったが、風が強く雲の行き交いが目まぐるしいものの、大きく崩れないだろうと見て決行に決める。

 9時出発。日本橋、上本町で乗換え、宇治山田行きの急行が発車したのが10時15分。駅で弁当に寿司を仕入れるが、お握りしてくれれば(来れば、ではない)とY子さんのぼやくまいことか。

 約1時間で室生口大野につき、ウーロン茶を買って早速歩きだす。この前来たのはいつだったろう。記録をひもとくと、昭和35年5月5日とある。御所の友人宅に泊めて貰い、もう亡くなった彼の父君と3人で(奈良電鉄勤務の関係で近鉄も家族優待が利いたみたい)室生寺と長谷寺をめぐったのだ。30年以上経っているではないか。それにしても道は完全に舗装され、バイパスはでき、ダムも出来、車の激増ぶりはこれ如何に。

 後につづいて歩く人は殆どいない。若いアベックが一組続いていたがすぐ見えなくなる。

 大野寺の磨崖仏を左に見て川沿いに進むと前方に高くR165のバイパス橋が見え、その少し向こうに小さく赤い橋が見える。バイパスのところに左から流れ込んでいる支流が室生川。道は赤い橋を渡ってしばらくダムの方へ杉林の中を進むが、それを右に見送ってまもなく一乃渡橋で右の谷に入ってゆくのが東海自然歩道。

 清冽なせせらぎが右に左に快く響く。処々啼鳥を聞く(なーんて。鴬なのだ)。杉林の割には明るい。手入れが行き届いているのだろう。あちこちに「止山」と書いた札がビニールひもにぶら下げられている。「山に入ってはいけません」をこれほど簡潔に表したものも珍しい。山菜取りが一種のブームになっている昨今を如実に物語っている。


 道は途中まで林道ほど、つまり一車線の広さがあるが、車止めを越えてもなおそこそこの広さがある。しかもだらだら登りである。単調な行程を救ってくれるのが名もない(いや名を知らない)草花と、所々に見られる滑滝である。その中でもシャガの群生はひときわ目を引く。一株抜いて持って帰りたいとも思ったが、自然歩道での植物採取禁止を忠実に守ることとする。滑滝は岩の多いこの土地ならではのもので、ところによっては10mを超えるものもあり、なかなか目を楽しませてくれる。  


 流れが道に接するようになってから突如石畳が出現する。ガイドブックにもあったので吃驚はしなかったが、よくよく見るとセメントで補修してあるではないか。こうなるとどこまで昔のものかようわからん。でも谷道で絶えずジュクジュクしていると歩き難いし、土砂が流されてしまいかねない。みごとな知恵ではある。

 出発から1時間でようやく峠に到着。門守峠である。地形図では標高約530m。相変わらず杉林の中なのに結構明るい。ここで昼食とする。

 前方に3人組が消えていったのをはじめ、途中で追い越した中年女性2人組、若いアベック2組、そんなもんだろうか、メシ食っている最中に通り過ぎる。これ以外は殆どはバス、そして自家用車なのだろう。

 寿司弁当はあっという間に腹に収まってしまう。多いといって心配していた350mlのウーロン缶も何のことはないすぐ無くなってしまい、どう捨てようかだけを心配することになる。すんだらキジ撃ちに専念。

 12時半出発。ここからは石畳の急斜面。くねくね曲がって雨でも降ればスリップの危険性大。Y子さんの靴の踵が減っているためちょいちょい滑っている。こんな坂登るのは大変である。今の行程が1時間10分で、逆行程が1時間と書いてあるガイド地図は少しおかしいのではないか、逆ではないか、そんな感じのする急坂である。

 突如目の前にたんぼが開け、草原で食事しているグループが二、三。「すみれ、たんぽぽ、れんげそう」の景色の中を行く。人家が現れ、その先で突如室生山が奥の院の建物を抱いて、濃緑にそして淡緑にバリエーション豊かなパレットのように広がる。しばし立ち止まる。

 途中看板のあったしょうぶ園があるが、なんや、こんなもんか程度の大きさである。

 下のバス道におりると、まあ人で人で、一車線の田舎道にあふれているではないか。そういえば、自然歩道に入るまでにだいぶん観光バスに追い抜かれたようだ。それ以上に自家用車もある。5月2日は休日じゃなかったはずとぼやくとY子さんの曰く、来ている人は休みに関係のない層・年代みたいとのたまう。そういえば中年女性が主で、高年男女がこれに次ぎ、ヤングは多分連休になっている企業の連中だろうと、そんなところなのかも知れない。これじゃ石楠花のシーズンに静かに観賞したいと願ってもとても無理と知る。

 食物屋、土産物屋が軒をつらね、30年前はこんなんじゃなかったと、うろ覚えの記憶をたぐっている。喫茶店まであるよ。自然歩道が下りたところから門前の太鼓橋のあたりまで僅か100〜200mばかりの間に集中している。かつて本で見た、朝靄に煙るひっそりとした太鼓橋の風情はもうないのだろうか。

 
行列の上、大枚400円を払って入山する。石楠花は一部盛りを過ぎたものもあるが、全山ほぼ満開である。ほぼ白、うすピンク、濃ピンクと参道の左右にびっしり植えられている。金堂の諸仏を拝観するが、ほかのお堂にもあの釈迦如来がいらっしゃらない。どうしたのだろうか。薬師如来はカラー写真に変わっているのには笑ってしまう。

 お目当ての五重塔、久しぶりの恋人のような気分であったが、やはり30年のブランクは大きく、脳裏にあるイメージに留めておく方が賢明と悟る。塗りは剥げ、屋根は杉の小枝や葉が積もって少々みすぼらしくなっている。少なくとも遠景のほうがましである。

 境内の楓の若緑に、秋の紅葉ももすばらしいだろうなと話しながら寺をあとにする。  

やや天気が落ち着かないので早いバスで長谷寺行き(ゴールデンウイークのみ運行:680円)に乗る予定で奥の院は割愛した。

 約600m下流のバス停まで歩く途中雨がパラついて来る。道路脇は駐車場でもう車がいっぱい。民宿も数軒見える。バスはピストン運転のようであったが、のんびりしていること。雲行きが怪しいため長谷寺は急拠取り止めにし、室生口大野に戻る。途中渋滞(道が狭いノ)があり、寒いホームで特急3台をやり過ごし、半時間待って急行に乗り帰途につく。