ㅤ低山跋渉私史 その3  1982年〜1984年ㅤ

その1
1951-76
その2
1977-82
その3
1982-84
その4
1985
その5
1986
その6
1987
その7
1988-89
その8
1989-90
その9
1991-95
その10
1996以降
その11
2001-05
その12
2006
その13
2007-09
その14
2010-12
その15
2013-16
         

カブリーダーを退任してから数年間の「歩き歴」は次の通り。
  1983年 2回
  1984年 5回
  1985年 7回
  1986年 14回
  1987年 10回
細かいものは省いているので、それまで歩きなど薬にしたくもなかった私に劇的変化が起こったといって差し支えないだろう(大半は独行)。このあとまたしばらく激減するのであるが・・・。

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昭和57(1982)年10月3日 −立山雄山一の越−

ホテル立山→一の越(2,705m)往復

【一言】 総務の慰安旅行で立山ゴールデンルートを巡ったとき。前夜の宴会疲れをものともせず4時起きの有志で雄山(2,991.6m)を目指したが、一ノ越で雲行きが怪しく雨もよいになり、ロクな装備のない一行はほうほうの体で退散。ホテル(約2,400m)に帰着したら青空に朝日が出ていた。
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昭和58(1983)年11月3日 −ポンポン山−

阪急高槻市駅=原立石→神峯山寺→本山寺→ポンポン山(679m)→(東海自然歩道分かれ)→善峰寺→灰方=阪急長岡天神駅

【一言】 これ以降はカブスカウトとは関係のない、独行を主としたハイキング。この日は東海自然歩道を分割踏破しようという遠大にして潰えやすい計画のもとにスタート。バスで偶然にもわれらが仲間のアルピニスト・SK君と一緒になり、善峰寺まで同行した。この写真も彼の撮影。
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昭和59(1984)年2月4日 −高見山−

近鉄上市駅=高見山登山口→小峠→高見山頂上(1,249m)→小峠→登山口=近鉄上市駅

【一言】 はじめて“関西のマッターホルン”高見山に会社同僚と登った。今はなくなった大和上市からの直行バスが便利だった。山は膝を没する豪雪で、樹氷は最高だったが、登りに精力を使い果たしてしまった。
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昭和59(1984)年9月15日 −竜王山−

忍頂寺→竜王山→車作大橋→萩谷→摂津峡→下ノ口(東海自然歩道)

【一言】 東海自然歩道分割踏破第二弾。雨にたたられ歩きながらの昼食を余儀なくされ、原バス停までの予定のところ下ノ口で断念。竜王山はこれ以降何度か訪れることになる。
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昭和59(1984)年10月10日 −最勝尾根−

忍頂寺→泉原→北摂霊園→最勝尾根→政ノ茶屋→箕面(東海自然歩道)

【一言】 同じく第三弾。逆コースだがまず出発点へ戻ろうと、そう考えた。北摂霊園へは明快な道をと考えて車道を歩いた。これは正規コースではなかったのだと気付き、後年歩き直しをすることになるが、それはまた別の話。けっこう距離のあるコース。
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昭和59(1984)年11月25日 明ヶ田尾あけがたお山〜五月山−

阪急池田駅=高山口→明ヶ田尾山(620m)→鉢伏山(604m)→五月山→阪急箕面駅

【一言】 ハイキングガイドで見てこのコースを決めたのだと覚えている。地形図では今でも高山集落から尾根道へ出ても、明ヶ田尾山へのルートが書かれていない。藪の中の山頂で、ここから鉢伏山へはアップダウンを少なくしようと最短コースをとり、道なき道を掻き分けた。このためかどうか知らないが、後々私を悩ませる右膝を痛めたようだ。
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昭和59(1984)年12月9日 −愛宕山−

阪急嵐山駅=清滝→(表参道)→愛宕山(924m)→(水尾道)→水尾→JR保津峡駅

【一言】 はじめての愛宕山。表参道を登り、水尾の里へ下った。快晴で水尾にナンテンが真っ赤に色付いていたが、お山の下り道で右膝を痛め、保津峡駅への歩きはただ苦しいだけだった。
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