金毘羅山(572.8m)  昭和61(1986)年11月2日

8:30出発。阪急河原町でキャラメル1個買っただけで京阪三条からバスに乗る。まあなんと快晴の3連休の中日ということで、人出の多いこと。尤もかく言う私もその中の1人だから文句の言えた義理ではない。けれども凄まじい。重装備のオジさんが1人倒れている。ややあって救急車が来て乗せて走り去った。可哀想に、今日の北山を楽しみにしていたのであろうに。バスはつぎつぎ来る。ようやく乗れた(坐れた)のが3台目。10:05発。

先日同様バスは快調に走る。快晴だが先日に比べ叡山は少しもやっている。10:50大原着。なんとなんと、修学旅行のバスが何台も止まっており、学生(高校生)の波。いや、一般の人もいる。

すぐ出発。京都バス停留所の裏を高野川(といってもこの辺は小川)へ下り、すぐ上がってゆく。もう何じゃ、「自家製」柴葉漬(しばづけ)の店がずらりンコ。寂光院まで息つく暇もない(オーバーか)。でも30年代に来たときはもっとひなびていたと思う。京都風にしてあるものの、それ自体禍々(まがまが)しい。

寂光院門前はもっとひどい。もう建礼門院の、後白川法皇の、大原御幸のといってもそのイメージを求めることは困難。早々に立ち去ることとする。

寂光院を過ぎると途端に山道になる。すぐ小さい橋を左に渡り、「阿波内侍、○○、××、△△ 古墳」の立札に従って石段を登る。(下から見えているのだが)実にささやかな五輪塔、宝筴印塔(ほうきょういんとう)が4つ並んでおり、先に詣った人が花を供えている。しばし黙礼。それにしても「古墳」とはこれ如何。「墓」でいいじゃないか。

11:15墓の後ろに回り、「東海自然歩道」の指示標に従って出発する。しかし下の立札から墓の周辺にもう少し何か指示標がほしい。まさか墓の後ろへまわりこむとは思わないもの。他の場所では指示標がしっかりしているのでここだけ余計に目立つ。
 道はすぐ急坂になる。苔が多く、ややもすると滑りそうになる。遊びが全くなく、どんどん高度を上げてゆく。途中1ヵ所だけ左からの道を合わせたところに平坦地があったが、あとは同じ

11:40尾根にとびだす。地図によるとここが翠黛山のピークらしいがどうか?(そうでなく、ピークを巻いていることが後日判明)右(北)に一際高い山が見える。多分焼杉山だろう。道を左にとって進む。

しばしダラダラのアップダウンを繰り返してゆくと、10数人のグループに追いつく。その後尾についてしばらく行くと、やがて岩のピークに立つ。12:12。ヒョッとするとこちらが翠黛山の本当のピークかも知れない。比叡の方向に山と大原の集落の見晴らしが素晴しい。写真をとってまたグループのあとにつく。

ところがこの下りが凄い。距離は短かったものの、ほとんど切りたった斜面。木の根っこをつかみ、おそるおそる下りる。ここからグループの先頭に立ち、小学生2人を従えて話しながら行く。京都の住人で従兄弟同士という。

12:05峠道を過ぎ、グループをあとにし、金毘羅山のユリ道のような感じのやや暗い道をゆくとやがて前方が開け、金毘羅宮につく。12:25。

そこではじいさんと父ちゃんと息子の3人連れが飯を炊いている。途端に腹がグウと鳴った。せめて水筒くらい持ってくりゃよかったと思ったがあとのまつり。お社が2〜30m先なので行くとそこはまた10人程のオッさんの団体で、ここは鳥居の下一杯になって鍋でグツグツやりながら昼食中。声あり「なんやオッサンかいな。きれいなおねえちゃんならよかったのに」それでも一応1人立ち上がって通してくれた。もうひもじいやら、腹が立つやらで写真をとってほうほうの体で退散する。

とはいうものの、ここの眺めのよいこと天下一品。叡山方面は瓢箪崩山が見える(本コースで瓢箪崩山が見えたのはここだけだった)。南方も霞んではいたが、静原から岩倉方面が一望のもと。
 この山は岩山で、京都の岩登りのメッカであるらしい。お社付近は大石がゴロゴロあちこちに鎮座ましまして、まさにそれを証して余りあるものであった。思うに古代の磐座(いわくら)信仰の名残りなのではないか。
 直ぐ出発。12:30愛宕山の水尾道を思わせる石段を下ってゆく。今日は右膝も調子がよい。全然こたえない。それでも用心にこしたことはない。時々右上の急斜面に大岩が点在しているのが木の間がくれに見える。

12:40琴平(金毘羅)新宮着。横の入口に竹竿を2本さし渡して通せんぼをしている。構わず(?)またいで境内に入る。社殿と紅葉の山を撮って参道を出ようとすると、何とここにも通せんぼをしているではないか!! そばに立札がある。「この山は私有地につき無断立ち入りを禁ず云々」一瞬ドキリとする。しかし人気がなく、あちこち苔むして気の毒なくらいさびれている。

江文(えぶみ)神社への分岐を左に見送って谷道を下る。ちょうど上がってきたグループがこの分岐をすぐ江文神社の方向へ行くのを見て、ナルホドこれが東海自然歩道の正規(?)ルートなのだと納得する。
 羽虫がやたら多い。先ほどのグループが通りすがりに「ここは夏来られへんなァ」といっていたのがわかる。

参道沿いに立つ「人立たす かぎろひ 江文寺の跡」の小碑 (2011年注記)

漸く人里に出て来たと思ったら江文峠のバイパス。案内書や地形図には全く無いのでびっくり。車がビュンビュン飛ばしており、夢破れがっくり。例によってセルフで鳥居をバックに写真をとり、旧道にはいる。1時。

旧道に入ってがっくりした気分も持ち直す。見事な杉並木。途中で間伐している人に出会う。ここが今回のハイライトの一つと言ってよいかもしれない。地道に杉の払った枝が散乱しており、将に緑の道で一時ホッとする。
 バイパスをくぐり、しばらくゆくと静原に出る。ボーイの制服を着たのが数人おり、ネッカチが14団のSSそっくり。とうとうここで辛抱たまらず自動販売機のヤキソバ(160円)+コーラ(100円)で腹を満たす。食べている最中に先ほどのボーイが車で行き過ぎるが全然14団とは違った。何かBSの追跡ハイキングらしいことをやっているみたい。

食べ終わって1:30出発。バイパスの存在を除いては至極平和でのんびりした静原の集落の中を通過する。実にいい。京都市内でありながら、二山越えた(炭坑節ではないが)別天地である。「静原」とはよくぞ名付けたり。

1:45薬王坂にかかる。また登るのか。今度は「坂」だから「山」よりましだろう。てんで理由にならない理由で自分を納得させて登り出す。

ところがどっこい、現実はそう甘くはなかった。杉林の中で傾斜がだんだんきつくなってくる。10mくらい登ってはハアハア、又20m登ってはああシンド。そのうちに杉林が切れる。日があたる。汗がポロポロ。弥陀二尊板碑のところで向うからやってきた子供会らしいのをやり過ごすためもあって、立ったまま一休み。
 振り返ると叡山方面の眺めがよい。子供会リーダーが子供たちに言っている「あの向うの山の上に小屋があるやろ。あそこまで行くんやで」「嘘や!」。いずこも子供をなぶるリーダーの言い草は同じだなとフト可笑しくなる。

ここからはあまりかからなかった。峠にかかると吊るし札「鞍馬駅まで15分」。時すでに2:06。とてもDMCには間に合わない。ママヨとばかり腹をくくる。10分ばかりで下山。小さな祠の境内で汗だくのシャツを着換える。
 鞍馬川の橋を渡るとそこに冷蔵庫があって、ギャルが2人何やら飲んでいる。聞くとミネラルウォーターだという。無人スタンド。「鞍馬水」のブランドで1本50円。咽喉も渇いているし、へたなジュースに1本100円も出すことを思うと安いもの。サイダー瓶くらいの量を息もつかず飲み干す。甘露なり。

鞍馬の狭い町なかは人また人の雑踏。フィルムもなくなったことで、駅に直行する。2:25到着。ここでも行列。駅舎は電車と同じく旧態依然。変ったのは30年としとった人間のみ。電車は流石に2両連結で、1時間2本のところ4本に増発。
 2:39発で戻り、約1時間遅れてDMCに参加する。