剣尾山けんびざん日記  昭和61(1988)年11月20日

池田バスターミナルに着いたのは8:20ごろ。能勢のさと行き(1日2本)9時発車まで時間をつぶすのに苦労する。ハイキング姿が多いのでリュックを置いて権利とりをするが、いざ乗ってみると8割ほどの乗車率。途中の乗・下車殆どなく、9:56森上もりがみ着。580円。山下までひどい渋滞だったが、あとはスイスイ。バス嫌いの人は山下まで電車で行って、山下からバスに乗ればよい

岐尼神社前で若い奥さんと「何と読むんですか?」「キネジンジャです」というやりとりがあって、うき峠へと向かう。途中柿がダンボールケースに一杯入っていて「柿差し上げます」とあったのに一驚。有難く2つ頂戴する。

10:10浮峠別れを右にとる。簡易舗装だが、まったく人が通らない坦々とした道。落ち葉散り敷く静寂境。

いつのまにか峠を越え、上山辺の集落に出る。正面に行者山。その奥に青空をバックに剣尾山。しばしたたずみ、見惚れる。

国道バイパス交差の行者口バス停を10:30に過ぎる。しばらくゆくと玉泉寺ぎょくせんじの手前に2基の横穴式古墳(=末尾に注記)が開口している。

玉泉寺を過ぎると玉泉寺ユースホステル。プレハブの建物で、質素なYHだが付属テニスコートが一杯だったところをみると宿泊客はある模様。

だらだら坂を登ってゆくと、左に能勢の郷のキャンプ場がある。右上が行者山である。ススキ原から急に立ち上がり、雑木を切りたおした急斜面には巨石が林立している。行者山の行場である。

10:44「是より行者道」の標識を右折。

いよいよ登りである。丸太造りの階段もある急斜面を喘ぎながら登ってゆく。みるみる高度を稼ぐ。先行者が大岩の上に立っている。思わずカメラを向け、大声で「すみません、そのまま立っていて下さい、岩の大きさがよくわかるので」と叫ぶ。聞こえたのか、しばらく立っていてくれる。

やがて自分も大岩に辿りつく。見るとその一つ手前の大岩に仏像が浮き彫りされているではないか。薄い赤の彩色(ベンガラか)も認められる。これ自体はそう古くないと思うが、山岳信仰・・・巨石を磐座いわくらと見立てて拝んだ原始宗教・・・の名残に相違ない。

10:57行者堂にさしかかる。そばの巨石に2人のヤングがとりついている。岩にハーケンを打ち込み、カラビナを通してザイルを付け、ロッククライミングの練習。すごい道具を腰にぶら下げてはいるが、1人は初心者と見た。

(写真は行者山ピークからの眺望)

11:02行者山のピークを過ぎる。ここから一部急な所も交じるが、大体は比較的緩い登りとなる。山は京都の北山と違い、殆ど常緑樹と落葉樹のまじった濶葉樹林。針葉樹はたまにしか見掛けない。このため道は落ち葉のじゅうたん。かえって滑り易くなる。しかし山は明るく、気持のよいことこの上なし。

11:32ふと見ると左の山腹に又もや横穴古墳(=末尾に注記)1基。暫く考え込んでしまう。ここは既に標高600mを超えたところで、麓の民家からも相当距離がある。古墳時代もやはりそうであったに違いない。ひょっとすると炭焼窯か? それとも何かの貯蔵庫か? しかし山腹の斜面に手前は石を組み、入口は四角の上に直角三角形を乗せた「家形」に切石を組んであり、そんなものではなさそう。 ここから数百m行ったところに大木が倒れていたが、その根っこのあとも大きなうろになっており、よく見ると手前には石積みが認められた。この辺りの古墳文化の知見を得たいものである。

右向うに見える剣尾山から真南に派生した尾根の南斜面に大きな白い岩が見える。心なしか仏像のようにも見える。

11:47六地蔵にさしかかる。ここは左へ道を90°曲がったところにあり、さして古くはないものの、柔和な顔をした地蔵6体が木洩れ日を浴びてひっそり鎮座している。右手には巨石があり、その下部には六地蔵よりも遥かに古いと思われる小さな石仏(浮彫)が十数体ひしめきあって並んでいる。むしろこの方が古い信仰を示しているのだろう。
巨石のところをまっすぐ行くと大阪府青少年野外活動センターへの道になる。立入禁止を書いたのだろう、朽ちた表示板がころがっている。読めない。もちろん踏み込むつもりはないが。

11:52月峰寺趾で憩う夫婦連れ(同年代か?)に「頂上はもう行って来はりましたか」と聞いたのがきっかけで、しばし会話を交わす。車でやって来たのだが、上山辺あたりでわからなくなり、宿野まで引き返して警官に聞いたところ大阪府青少年野外活動センターの道を教えられた。それでゲートで記名して上がって来たと。

一緒に暫く熊笹を分けて急登すると、目の前がパッと明るくなり、六甲、妙見などを記した大きな方向指示標識が目に入る。12:01待望の剣尾山頂上に到着したのである。

頂上は(あとで案内書を見て分かったのだが)「蛙岩」をはじめ、風化して角のとれた巨石がゴロゴロしている。その中の一つ、「大分県云々」と落書してある一番大きなのに登る。岩に寝て仰げば、雲がすいこまれてゆく。ついつい自分も無窮のうちにすいこまれてしまいそう。

何とすばらしい眺めだろう!!南方は松が数本あって少し見え辛いが、歌い文句の360°眺望は掛け値なしのすばらしさである。北と西は亀岡、丹波方面、南には六甲最高峰のレーダーアンテナがくっきり。東南には一際高く妙見のピークが見える。更に東方に愛宕山が見え、驚いたことにその向うに比叡の頂上までその姿を見せているではないか

東の真下は大阪府青少年野外活動センター。58年2月カブ生活最後の冬期舎営をK村大輔君などの助力を得てやったことを思い出す。剣尾山に登ったオリエンテーリング、閉舎式でN尾信介が喧嘩して泣いたこと。いろいろあったグラウンドが、池が、そしてキャビンが見える。
ふと思いだして、昼食の仕度にとりかかる。岩室の跡らしきものの入口で湯を湧かし、レトルトを突っ込む。赤飯は10〜13分で出来るとあったので13分で出したら、見事にカンチ飯。どうしようもなく、ローソンで買ったカップラーメンもつくり、何かわからんがごちゃごちゃで食べる。腹は一応一杯にはなる。でももう少しうまくやらなくっちゃ。食後のコーヒーを飲みながら見る四方の眺めはまた格別。

記念写真をとろうと、先ほどの指示標のところで立木にカメラを例によってぶら下げるがうまくゆかない。ああでもない、こうでもないとカメラ位置を変えているところに通りかかった完全装備の3人組のうちの1人が、見るに見兼ねたか「撮って上げましょうか」「有難う。しかしセルフタイマーを巻いてしまったので」「じゃ、セルフが切れるまで持っていてあげよう」。何とも妙ちきりんなことになってしまったが、無事写真は撮って貰った。しかし長いカメラとの付き合いの中で、セルフを巻いて人に持って貰ったなど初めての経験である。

1:01名残の山頂をあとに出発する。心配は足。特に右膝だけ。あまり片方だけに体重をかけないよう気をつけながら下りてゆく。大阪府青少年野外活動センター(写真)に下りようかとも考えたが、やはりややこしいかなと思い、同じ道を下ることとする

1:45行者山ピーク通過。この辺で下り道の分岐があるように地図にはあるが(25000分の1)確認出来ず、そのまま下る。1:55「是より行者山」の標識通過。
ㅤ玉泉寺の手前で左折し、山辺集落への道を辿る。2:15山辺神社通過。今盛んに土地改良事業が行われており、あちこちに土盛り。これを除けばのんびりとした風景である。
ㅤ2:20下山辺集落の中に入り、お地蔵さんを右折する。ひとの敷地のようなので居合わせたおばあさんに「ここ抜けられますか」と聞く。「行けますよ」の返事で安心して歩き出す。
ㅤお墓があってすぐ、又もや左に横穴古墳(=末尾に注記)が1基あるではないか!!閉塞石はないが、みごとな5角形の入口は剣尾山と同じ。場所は山辺川を望む平地が山にかかるところで、斜面という立地は全く同じ。
ㅤ暫く山裾を縫って落ち着いた立たずまいの道が続く。人は殆ど通らないみたい。ここに来て、本当の能勢を味わった気分になる。

2:40月峰寺に着く。バスが2:52とかで時間がない。ゆっくりしたかったが、これを逃すと40分待ちとなる。茅葺きのふるさびた本堂をカメラに収め、早々に出発。

門前でもう1枚撮る。

やはり急いではいけない。釣り堀の前まで来てレンズキャップのないのに気がつく。急ぐからいけないのである。また、ズボンの右ポケットが破れているのもいけないのである。いずれにしても、またウン百円の損害。
半走りで能勢町役場前バス停に着くが、始発「能勢」停留所はもう少し先(奥)であることに気がつく。おまけにお召しバスは5分ほど延着しており、2:54漸く車中の人となる。少し右足を庇ったせいかかえって左足が痛い。
3:20能勢電車山下着(バス400円)。3:27山下発。川西能勢口・十三経由帰宅。快適な一日であった。

後日談:横穴式古墳と見たは僻目で、やはり炭焼窯跡だったことが判明。=2006年=