深まる秋に愛宕さん初参詣  昭和59(1984)年12月9日

『闊歩・逍遥の時代』へ戻る | 『低山跋渉私史その3』へ戻る

会社メンバーに連れられて高見山に登ったのは2月。親切なHさんそのほかの方々からあちこち紹介されて、さすがの乃公も恐る恐るそのレパートリーを増やしてゆくことになる。高見山はアクセスの点からパーティを組んで出かけたが、愛宕山は基本的に独行だった。ただ市街地から見えている山に登るので、上りはともかく下りのコースはいろんなバラエティをそれなりに考えて出かけることになる。今日はまずその第1回。水尾の里へ降りて保津峡駅まで歩くこととした。ま、今から考えたら結構タフではありましたなぁ。(ページ作成2012年)


【愛宕山遠望】阪急嵐山駅から大堰川(桂川)畔に出ると愛宕山のピークが目前に迫ってくる。このころカメラはPENTAXでフィルムを使っていた(デジカメ導入は1999年)。光が入ったようで画像がもう一つ。




【錦秋嵐山】嵐山・嵯峨野のいちばんキレイな時期。それを尻目に渡月橋を渡り京都バス嵐山バス停に急ぐ。




【参詣口】ここは登山口というよりは愛宕神社の参詣口である。一の鳥居。ここから本宮まで五十丁、標高差830mがとこの山道が待っている。




【参道@】自然の残る参道は五合目までシビアな登りが続く。




【参道A】五合目(約550m)には休憩所の小屋があり、すぐ大杉大神。ここから登りは比較的なだらかになる。




【参道B】木々を通して水尾別れが指呼の間。




【参道C】振り返ると東南方向に桂川が光って蛇行し、京都市街のありかを示してくれる。




【参道D】南望すると京都・亀岡間の山塊。




【参道E】漸く水尾みずお別れ。北方愛宕神社へ向かう尾根筋の「乗越」で、越せば水尾への下山道。小屋がある。ここで標高700m。




【参道F】ややあって黒門。ここから神社の境内。神仏混淆時代には愛宕権現と称し、愛宕山白雲寺の塔頭寺院や宿坊が建ち並んでいたという。




【境内@】神社へ登る長い石段。厳冬季はここが雪で埋まるとはこのとき未だ知らなかった。因みに愛宕山の標高は924mだが三角点(三等)は600mほど北にあって890m地点だという。




【境内A】拝殿内側。写真を撮っている背中側には大きな囲炉裏みたいなのがあって火が焚かれていた。オヤ、よく見たら屋根に雪が積もっている。




【境内B】愛宕神社本殿(拝殿)。




【境内C】石段にて。このころは人がいようと居なかろうとカメラを何かの台の上に置き、台が無い場合は木の枝に引っ掛けたりして、セルフタイマーで自画像を撮っていた。これもどうもそうらしい。



Sample
【境内D】境内から木の間越しに比叡山が見えた。onmouse-up




【下山@】恐ろしいほど急傾斜の遥か下にこれから向かう水尾の集落が見える。




【下山A】そこには地蔵さん、その脇の標識は参詣者が立てたものらしく、「九合目/頑張坂」とあって1983年1月1日と記されていた。




【水尾@】やっとの思いで降りてきた。実はこの日膝が不調で、下りに脂汗が出るほど。写真は水尾の集落に下りてはじめて撮る気になった。真っ青な空に映える南天の実。




【水尾A】ここが水尾のメインストリート。標識曰く「(左)清和天皇山陵/樒ヶ原・越畑/亀岡市・八木町方面(右)保津峡駅4KMを経て落合・嵯峨・京都方面」。見えないが正面方向「愛宕神社」と書いてあるのだろう。




【保津峡駅】保津峡駅ホームから対岸・愛宕山の尾根が保津峡に切れ落ちる場所を望む。紅葉が素晴らしい。水尾からの道は、この紅葉の山の向こうから屏風岩を回り、橋を渡ってこの駅に着く。このホームは当時“国鉄”山陰本線の駅だったが、現在は嵯峨野観光鉄道の「トロッコ保津峡駅」になっている。



ㅤ帰途は嵯峨駅(いまは嵯峨嵐山駅になっている)で下車、阪急嵐山駅まで唸りながら歩いた。この膝の痛みは宿痾として乃公の悩みの種だったが、2年後岩湧山雪中滑落・膝内障で入院治療以来キレイさっぱりと消えてしまった。