泉ヶ丘から北野田へ 2014年5月28日

♣ 独 行“泉州の式内社巡り 通算12回目” ♣

泉州の式内社巡りも終盤。今日は水曜会にちょっとお休みをいただき、千里バッハの最終練習の足慣らし(意味わからん)で歩くことにした。朝TVの天気予報は昨日より数度高い最高29℃。ままよ、と千里中央から中百舌鳥まで御堂筋線をフルに乗っての出発とは相成った。
 ▲なお、お社記事に特化したページは こちら

泉ヶ丘は前回歩きの終点駅。あの時最終通過した大蓮公園もどうやらこの緑道の一環らしい。竹城台の真ん中を縦断する竹城公園に入ると一気に緑に包まれる。左は陸橋を超えて大蓮公園。右は宮山公園へと続く。さあスタート。

緑道は簡易舗装しているものの落ち葉が散り敷いてごく自然な雰囲気がいい。並木も桜が多く花の季節はさぞかしと思わせるが、今は葉桜。それにもまして樟をはじめとする雑木の緑が心地よい。

NexusのGoogle Mapを見ながら早速道を取り違える。喝!左に公園を出てここは竹城台口バス停近くの溜池。

右へヤッコラヤッコラ坂を登る。さっきの緑道を下りずに来ればここへ出ていたのだ。左が荒山こうぜん公園(梅林)、そして多治速比賣神社との標識。因みにこの神社の別名は荒山宮(こうざんぐう)。

この神社が第1のターゲット。詳細は別項に。
これは福石社。ここで年初に豊穣祈願の神事が行われる。この石は貧乏神の生まれ変わりという民話があるが省略。

このお社も例に洩れず神仏混淆が明治初年まで続いた。このお堂は神宮寺であった旧総福寺の大師堂。

さてここからが難儀なことで。いや、なに、難儀といっても道を取り違えたのである。ことのおこりは正面参道の石段を下りたことにはじまる。真西の道路際に一の鳥居があり、そこから真西に更に府道まで300mがとこ伸びる参道に感嘆し、右を目指したのが間違いのもと。幸い気付くのが早くて200mほどの無駄足で済んだが、もともとは参道石段を降りるべきではなかった(Nexusは役に立ってたのか?)。先刻の梅林標識のあったところまで戻ってゆけば少しは近かったものを。これを後悔先に立たずという。府道208号を一路真東へ2km。長い。左折して畑の中の道を更に行く。

上之(うえの)というバス停のそばにこの鳥居を見つけたが、お社は更に右向こう500m先。因みにこの鳥居の扁額はこっちに付いていなければならないのに、引っぺがして(跡あり)反対側に付いていた。

それがこれ(?)。右へ行くと「辻之」というバス停だが、これも町名で「つじの」と読む。左上の円柱は左記の鳥居。

第2ターゲット・陶荒田(すえあらた)神社。陶器(すえき)の一大生産地だったことからその祖先を、というのと、荒田の姓を名乗る氏族の関連でこの名前がついた、と。陶器をはじめとする方面の崇敬が篤い由。それにしてもこの鳥居、八頭身過ぎてバランス悪いと思いませんか?

境内の一隅に建つ万葉歌碑。♪梓弓 末のはら野に 鳥猟する 君が弓弦の 絶えむと思へや (作者不詳:巻11-2638)♪「末のはら野」を「陶の原野」として関連付けたとする解説が多く、あまりピンときていない様子がうかがえる。武田祐吉校訂の「万葉集」には『所在不明』とある。

そして次を目指して一路北へ。1.3kmだったらしいが、さっき同様真っ直ぐな道は実際以上に長く退屈。まだか、まだかとNexus画面を見るが、真昼の太陽下では見難いことこの上なし。

第3ターゲット・愛宕神社
あまり期待していなかったが、

やっぱりもう一つだった。

竜頭蛇尾の感なくも無し。ということも与ってか、あと南海・北野田駅までの東行1.7kmが思いのほか長かった。でもしっかり汗をかいて、今日の目的・千里バッハの準備運動は期待通りと評価しておこう。

今日の総歩数 16,906 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら