光明池から◇泉ヶ丘へ  2014年5月3日

♣ 独 行“泉州の式内社巡り 通算11回目” ♣

タイトルの「◇」は“堺公園墓地往復”を省略したもの。あまり期待していなかったが結構歩きごたえがあり、かつまたそれなりに面白かった。泉州の地形は紀和との境をなす山脈から(主に)北西に流れ出た?谷筋が特徴を形作っている。この方向性が歩いた時の土地勘を狂わせるもととなっていることは既に述べた。今日のコースも平地とばかり思っていたら公園墓地へは緩いながら登りであり、櫻井神社の前後のアップダウンが思ったよりキツかった。マップでは距離感は掴めても高度差は把握しきれない。できるだけ車道を外して、と思ったらそれなりの負担があるものだというのが今日の教訓であった。
 ▲なお、お社記事に特化したページは こちら

美木多小学校の土手に満開のツツジが背後の若葉と共に目に鮮やか。

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最初のターゲット・美多彌みたみ神社到着。美木多地区の氏神さんだが、バイパスで無残にも集落と切り離され、参道はトンネルをくぐらねばならない。

何の花だろう。お宮さんにはチト不似合 と見たは僻目か。 onmouse-up

お社は新しい。標高八十ウンmと拝殿前の石碑に書いてあった。

社叢はすばらしい。遠目にもそれと知れる。これぞ“村の鎮守の神様”。

向こうに見えるバイパスをくぐって参道を下がってくると、左手に「美多彌神社宮座跡」の碑があった。昔はこのあたりも神社の境内だったという。

小さな流れの畔に広大な更地。Google Mapのストリートビューを見ると、生け垣に囲まれた広大なお屋敷だったらしい。五本の巨木はその最後の名残り。

お宮を出て 東をさして歩くこと約1時間。距離にして4.8km(Google Map調べ)。微妙に登り坂なんだよね。

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道すがらの花模様が目を楽しませてくれる。 onmouse-up

泉田中の坂にある陶芸のお店。「逢坂」の碑が気になってストリートビューを見たら、無かった。この坂の名前ではなく、店主の気まぐれ(笑)か。

自動車教習所の車が多いと思ったら公園墓地の手前隣がそれだった。散ったばかりの八重桜が道を埋める。

石屋さんがメッチャ多くなったと思ったら、公園墓地の入口だった。服部霊園をイメージしていたらここは異境。基本的に樹林鬱蒼の丘陵地帯だがそのなかに寺院の墓地と個人のそれが入り混じる。お昼時とあって あちこちの木陰で家族連れが弁当を広げていた。

式内くに神社址。とりあえず祠はあるものの、明治43年例のあれ・ ・で(これから向かう)櫻井神社に合祀されたのだという。

おっと、公園墓地の西隣になにか見えるので覗いてみて驚いた。このお寺・法道寺はここ鉢ヶ峯の地に7世紀に建てられたというではないか。この多宝塔は鎌倉時代のものといい、下記食堂と並んで国の重要文化財。公園墓地なんか無かった時代には 上記お社とこのお寺が並び立っていたに違いない。

鉢峯山法道寺は真言宗のお寺。公園墓地を見守っているかのよう。

これも国の重文・食堂じきどう。今日の収穫は“こんなところ”にこんな立派な寺院があることを発見したこと。

さあ、あとは最後のターゲットを残すのみ。車道を歩くのも業腹。幸い尾根と尾根の間の流れに沿って地道の農道がある。それを辿れば行きつけそうだ。キーメタ。

この様な道なんて久しぶり。約3kmを川に沿って蝶々と戯れながら歩く。

片蔵の集落に入ると遥か遠くに櫻井神社が見え、この標柱が出迎えてくれた。「奉納上神にわ郷総鎮守櫻井神社」。お宮はほぼ真北。川へ向かって下り坂。

最後の目的地・式内 櫻井神社到着。初めて知ったがこの拝殿が国宝だという。大阪府下では住吉さんの4殿とここだけだとか。社叢は立派。

お社を出て左へ。若松台中学校への登りはまさに胸突き八丁。久しぶりに途中で息が上がってしまった。泉ヶ丘駅への途中きれいな公園・大蓮公園。

大蓮池を中心にした大蓮公園は親子連れに最高の遊び場のようだ。ツツジは満開。そしてほどなく泉北高速泉ヶ丘駅到着。かくて今日の式内社巡りウォーキングも無事終了。

今日の総歩数 21,380 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら