高岳(720.9m)  平成2(1990)年11月10日ㅤ

朝起きると外は快晴。少し風は強いがこのあとのスケジュールを考えると、今日を逃しては今年中歩く機会を失いそうなので、水筒に水を詰め、起きてから30分で家を出る。ローソンで3個入りおにぎりと軍手を買い、いざ出発。

川西能勢口で30分待って10時発篠山町後川しつかわ行きのバスに乗る。あとから来たバアさん二人が堂々と先頭に割り込んで乗るのに一驚する。
 初めて通る道。多田まで渋滞したが、清和台、紫合ゆうだなどを過ぎ、遅れを徐々に取り戻して、杉生にはほぼ定刻11時到着。
 やはり能勢の一部だ。風景は宿野あたりと同じだが、狭い(山が近い)感じ。杉生の四つ辻は店が並んでいるものの、ひっそりとして人気(ひとけ)がまったくない。森上への道路を歩き始めるが、ややあって立派なお屋敷のそばで例の身繕いをし、鎌倉の集落の中の道を辿る。千木や鰹木を屋根に乗せた民家があって、なかなか趣がある。車道を通らないというのは、いかにものんびりしていいもの。

だらだらの坂道を中山峠へ向いて登ってゆき、11時20分関西電力変電所前、いわゆる不動尊別れに着く。早速写真を撮ろうとしたところへ何とパトカーが到着。「もしもし」ときたもんだ。12日の即位の礼とそれに続く大嘗祭対策とすぐ気がついたが、いずれにしても気分はよくない。シャッターを切るやすぐ「どちらからおいでになりました」から始まって「免許証か何かお持ちですか」。身分証明書を見せると「ご住所は」。告げると「お電話もお願いします」。全部メモされて「有難うございました。こういう事情ですのでご理解下さい」だと。癪にさわるので「登ってもいいんでしょうかね」と皮肉ると「いいでしょう」ともったいぶること。
 何はともあれ、この変電所は能勢の山奥にあるとはとても思えないドでかいもの。左へぐるりと巻いて山道にかかる。もっとも不動尊へ行く車のためか、簡易舗装してある。

けっこう胸突き道である。どんどん登ってゆくと椎茸小屋がある。山水が水道(パイプ)からどんどん出ている。のどを潤して、11時50分猪名川不動尊に着く。
 社務所みたいな家が1軒あり、人が居るようであったが、顔を見ず。いくつか祠があるが、どれが不動尊か分からない。滝がある。結構見事なものである。その奥の祠かと思ってのぞきこむと、これは弁財天、もうひとつは暗くて見えなかった。とりあえずそれぞれにご挨拶だけ申し上げる。

入口の脇へ戻ってから右へ上がってゆく。一昨日の雨のせいか水気が多い。ここから胸突きの坂道になる。いくつかの渡り返しがあって谷道から巻道になり、左から右に渡って暫く登ると尾根に出、ガイドブツクにある送電鉄塔に着く。12時15分。

振り返ると、右から愛宕(能勢の愛宕山)、堂床、竜王、三草と500m級が並ぶ中、遥かに六甲が見える。これが段々登るにつれてより遠くの山が見えてくるのだ。右手の山間に杉生らしい家々が見える。風が強い。

正面には赤い鉄塔を頂くピークが見える。もう少しだ。ふと気がつくとポリさん以来人間に会っていない。土曜日ということ、マイナーな山ということであろうか。二つめの鉄塔に着く。西に山頂の平坦な大野山おおやさん(753.5m)の堂々とした山容が見える。遥か南西の彼方には大船山らしいのが首を出している。先ほどの500m級の山々は段々沈んでゆく。

12時52分、赤い鉄塔か風に唸りをあげている720.9mの高岳頂上に着く。ピークとおもわれる所は潅木の繁みで全く見晴らしが利かないが、数m下がった鉄塔のところは平坦で、そこから展望が利く。必ずしも100%ではないが、雲も無く、快晴で言うことはない。とにかく飯だ。アンダーシャツだけになって食べにかかるが、流石に風が体温を奪っていく。じかにジャンパーを羽織って握り飯三つを持参の水で平らげる。旨い。去年11月のの倶留尊山で飯の半分を残したのが嘘みたいだ。一息ついてから北方の深山をバックに記念撮影する。

フィルムの調子が悪い。巻き上げ時にパーフォレーションが大分破れたみたい。バーゲンショップで“韓国製の富士フィルム"を買ったのがまずかったか。

1時20出発。ここからは今思いだしてもいやになる。地図読みを間違えてヤブコギをやらかしたのだ。まず一段下の鉄塔へ降り、87の段(勘定したノダ)をおりたまではよかった。右の植林帯の中へ降りて行く中山峠道を見送り、左下に見えるクネクネとした林道を見つつ一本道をまっすぐ(のつもり)辿っているうちに、どこでどうとりちがえたか北へ降りていたのである。今地図を見返してもその原因が分からない。もう一度行っても自信がない。とにかく道標は殆どない。「山友」という団体が付けたらしい矢印道標が僅かにあるのみ。

気がつくと林道に降りていて、太陽を背にして進んでいるではないか。東に行くべきところ北へ向かっているのだ。吃驚仰天。地図と太陽と時計と首っ引きで考えた挙句、地図上では700mピークの北までで止まっている林道がもうすこしこの尾根の東端までは行っていて、今その道にいるのに違いない。行くところまで行け、と決し、林道を左へ登り始める。やっぱり、である。林道は尾根の端で切れている。仕方がない。その先の小径をたどりだすが、これもすぐ消えてしまい、急斜面に出る。北山の経験を活かし(?)、とりあえず尾根に上がることにする。これはすぐ出られ、尾根上の地図にある点線の小径(と思われる)に出たのだが、これもよくわからない。行ったり戻ったりしているうちに漸くこれらしいというのに出食わし、進むとヤッタ!向こうに剣尾山の見える所に来た。尾根はここから南へ折れ、地図でナルタキ山を含む尾根に違いない。とするとちょっと行き過ぎか?でも道ははっきりしてたし、ま、いいか。尾根上を進むことにする。これがまた間違いであった。少し戻って谷道をさがして入ればよかったのだ。

尾根道だからいずれ下に降りる道があるだろうと考えたのが甘かった。尾根上の道は程なく消えてしまう。かくなる上は仕方がない。右の谷に降りるしかない。ここではバックするなど全然考えてもみなかった。かくてお得意のやぶこぎが始まったのである。檜の若木に掴まりつつ、ローソンで弁当と共に軍手を買ったのは正解だったなと、そんなことを考える余裕もなく、ただひたすらガサガサ、ズルズルとおりてゆく。時々茨にひっかかったり、また茨を掴んだりする。汗ばんだ首筋に枯葉や小枝がはいりこむが、取っている余裕などない。左手にせせらぎの音がする。踏み込んだら大変と思い、右に針路を変更するがそううまくゆくわけではない。だいぶん時間をロスしたなと思っている時、突如小径に飛びだした。

時計を見ると2時25分。実に1時間余りもさ迷っていたことになる。ズボンは茨でほつれ、靴は斜面での格闘で歪み、白っぽくなっている。でも道に出れてよかった。地図の破線(難路)は伊達に「難路」ではないのだと思い知る。でもね、分岐点くらい何かあってもいいんじゃない?ところどころに標識を付けてくれた「山友」さんよ、ご苦労だけどもう少し指示標を増やして貰えれば嬉しいナ。

道は間もなく林道となり、延延と続く。林道といっても道幅だけの話であって、轍の後が深く窪み、その片方を水が流れ、真中は盛り上がって草が茂っている。殆ど車は走っていないようだ。でかいショベルカーがキャタピラを錆びつかせて放置されている。

2時45分砂防ダムを過ぎる。このあと檜の暗い道が続き、52分に漸く人家のある日野に出る。あとはもうタラタラ歩くだけ。中所を経由して森上には3時38分に到着。大熱戦に幕が降りる。
 

左足のおやゆびの付け根裏に例によって水ぶくれが出来かかる。バスは34分に出た直後で、次は4時15分のため、身繕いのあと汐の湯温泉前までぶらぶら歩く。ザルツ何とやらという喫茶店でコーヒーを飲んでバスの人となる。一庫ダム付近で日は落ち、山下駅のプラットフォームでは今秋初めての冷え込みを体験。でも久しぶりでキモチンヨカ。