倶留尊山くろそやま日記  平成元(1989)年11月3日ㅤ

ローソンで“すきやき風味弁当”なるものを昼食用に買って出発。6:24の一番バス、6:30の動物園前行きで日本橋へ。日本橋で“くろそサニット”の割引券(2810円)を買うとき係員が「亀山峠から二本ボソへの道は、山の持ち主がサクを作って通行止めになっている。どうします」ときたもんだ。ショックだったがここは男、一言「行きます」。上本町で駅員に時間確認の上、7:48の快速急行の人となる。
 名張駅8:50頃到着。8:55の太良路たろうじ行きと9:00の敷津しきつ行きのバス停にハイカーが群がっている。けっこう家族連れが多い。敷津行きのバス停に並ぶと、前にオバチャン二人だけいた筈が、いつの間にかオッチャンと子供を含めて7人に増えているではないか。要領がいいというか、厚かましいんだろうナァ。とても真似は出来ない。

バスに乗ってフト見ると、ちょっと前の反対側に近藤さんが鎮座ましましておられるではないか。「オヤ」てなことで聞くと、奥さんと二人で1台後の特急で来た・・・・といっている間にバスは満員になってしゃべれなくなる。
 定刻2分遅れでバスは発車。比奈知という由緒ありげな郷を経て狭い道をずんずん進む。半時間くらいたって前方にとんがった山が見えてくる。左手は多分伊賀富士といわれる尼ヶ岳、右は何だろう。リュックの中の地図は隣のオッサンに遠慮で出せない。前の中年アベックは倶留尊山だといって騒いでいるが、山容がまるで違う。(あとで地図を見ると高槻山:946m)
 途中の家の入口に和紙に手形を押して貼ってあるのがある。何のおまじないなのだろうか。立派な門構えの家では結婚式だろうか、正装した人達が何故か手に手にリッツのビスケットの箱を1個ずつ持って見送りしている。
 飯垣内はがいとで数人(これは西浦峠経由倶留尊山行き)、下太郎生しもたろおでも数人(これは尼ヶ岳方面だろう)降り、やや空いたかナと思う間もなく中太郎生到着。殆どの人が降りる。バス停のすぐそばの空地で例によって身繕い。目の前に倶留尊山とその左に二本ボソが虚空を突き上げるようにそびえている。特に二本ボソはこちら太郎生の人は“鰯の口”と呼ぶそうだが、とがった山容からなるほどと思わせる。

近藤さん夫妻に改めて聞くと、東海自然歩道経由亀山峠から二本ボソを往復し、太良路もしくは曽爾高原(唯一3:45臨時)からバスで帰るとのこと。倶留尊山はしんどいらしいから遠慮するとも。通行止めのニュースを伝えるが、いずれにしても行ってみての話、その時はその時ということ。

10時キッカリに歩き出す。道はすぐダラダラの登りの連続になる。事前研究ではこうではなかった。池の平は高原とあったがこれはどうじゃ。
優美な山容は大洞山(おおぼらやま)。左は雄岳(1,013m)、右は雌岳(985m)。

近藤さん夫妻としゃべりながらしばし行くと漸く目の前が開け、相当な傾斜地ながら高原状の開けたところに出、道が二つに分かれる。先発グループは既に左手向こう数百米のところを歩いている。一方右手の樹林帯の入口に茶色の東海自然歩道の標識が遠望できる。「アァあれが右西浦峠への分岐でしょ。僕はここで失礼します」、「お気をつけて」で別れる。右手へ行く人は誰もいない。

10:20分岐を右にとり、杉の樹林帯に入る。

200mほど入ったところに“左西浦峠”の標識があったので踏み込む。ところが、である。これは僅かに踏み跡があるだけで「道」ではない。しかし標識を信じてずんずん進む。殆ど直登である。当然キツくなってくるが、道はますます不明瞭になる。心細くなってきた頃に左右(南北)に走っている林道に出会う。これはいいのだが、ここから上への道がわからない。「エヽままよ」とばかりやや下葉の薄いところを狙って歩く。フト見ると右上へ伸びる杣道があるではないか。「これだ」とばかりこれに沿う。途中杉丸太4本の橋があったので渡ろうとすると、まん中で「ミシッ」とくる。びっくりして橋を放棄し、谷(というほどのこともないが)を渡る。

10:40漸く登山道に出合いホッとする。結局先の“左西浦峠”の標識は、上から近道をとって斜めに降りて来た人が「ここからでも上がれますよ」という程度で立てたものなのだろう。今回の倶留尊、二本ボソ行きを通じて言えることは、個人の持ち山のため標識が至極不明確なことである。この“左西浦峠”なども、地図の登山コースの赤線を信じて来た不慣れなハイカーを惑わすに充分である。近鉄もコースを推奨するのだったらこの辺りを解決しておかないと、金儲けだけのそしりをまぬがれない。樹林帯に入ってもう少し北へ歩き続ければ登山道に出会えたのだ。

とりあえず登山道を登るということはしんどさは変わらないものの、心理的な面ではプラスである。オレの山行きは卒業間もなしの箕面(皆におこられた)、京都北山直谷奥などヤブコギがやたら多い。地形がどんどん変わっていることに加え、ハイキング案内の更新や標識の不備がこういう結果をもたらしているようだ。

12:55西浦峠着。何と飯垣内からの連中だろう、目の前を倶留尊へ向かってもう先行しているではないか。流石に距離が長い飯垣内道を選ぶだけあって足早である。峠標識の写真をとっているとまた一人若いのが到着して、「アトにまだ数人グループがいますよ。ボクは古光山へ縦走しますから。お先に」と言い残し、アッという間に見えなくなった。

小憩ののち出発。この辺まではずっと樹林帯の中ばかりでうっとおしくてしようがない。今日は快晴だというのに。しばし登ると潅木帯に入ってパッとあたりが明るくなる。三ツ岩である。このピーク(891m)から仰ぐ倶留尊は東側に恐ろしい絶壁を見せて切れ落ちている。キレットに降りてから登り直し・・・・と思っているうちに道を見失い、気がつくとキレット東側の急斜面になったケモノ道を辿っているではないか。びっくりして50mほど登り返して道に戻る。

聞きしにまさる倶留尊は急斜面である。登るにも降りるにも木の枝や岩の角を掴んでいないと危ない。(しんどいので手で引っ張り上げていることもあるが) 数歩登ってハァハァを繰り返すことになる。
 11:30肩らしきところに出る。この辺からあちこちに「花木持出禁止/下市・柳原」の看板が立っている。何というんだろうか、1本レールの軌条が10mほど尾根の西下を巻いて走っている。ここからまた草の根を掴んでの登り。もうヤルッキャないという感じで欲も得もない。来た以上はここから撤退するわけにはいかんからネ。

11:43やっと平坦なところに出る。もうこれ以上高いところはない。見回すと尼ヶ岳から大洞山の雄岳・雌岳への稜線がえもいわれず美しい。右南方に目を転ずると、Hさんがかつて行ったという三峰山みうねやまらしきものも見える。更に西方には屏風岩から兜岳か鎧岳らしきものも見える。もっとも山影が重なっているらしく判然としない。風は爽やか、空は抜けるような青空。

12時になってないがメシにしよう。ローソン特製の弁当を開くが、カレーコロッケはとても口に入らない。メシの上に大豆蛋白らしい肉まがいが糸こんにゃくとすきやきのあじつけで乗っている。普段ならコロッケ共々パクパクなのだが、心臓がのどのあたりまで上がってきて、おまけに脱水気味ではお茶と共にメシを流し込むだけで精一杯。でもミカン2個を平らげ、ホッとしてしばらくまどろむ。日なたを選んで枯れ葉の上にビニールを敷き、ベスト、シャツを脱いでその辺に拡げ、オーロンシャツのままでうつぶせに寝る。頭にタオルをかけてうとうととする。陽は暖か。虫も殆ど居ず快適。
 12:15麓の太郎生集落から太鼓の音がここ1,038mの倶留尊山の頂上まで上がってくる。祭礼なのだろうか。そろそろ出発しなければ。シャツはみごとに乾いている。身繕いして歩き出す。ヤヤッ、50mほど向こうに倶留尊山頂上の標識があるではないか。道理でこちらは人が多く、にぎやかだと思った。標識を背に例のごとくシャッターを押してもらう。そこへ二本ボソ方面から上がってきた人がいたので通行止めの件について聞くと、「いやいや、そんなことはありません。何もありませんよ。確かに左右の斜面を伐採してそこに入れないよう有棘鉄線を厳重に張ってあるところはあります。近鉄の係員の言ったのはそれの誤報と違いまっしゃろか」とのこと。とんでもないことである。こちらは危うく今日のベストコースを断念するところだつたではないか。なおくだんのオッサンの曰く「数年前にここのすばらしい紅葉を見て病み付きになり、以後毎年来てますが、今年はヌクイせいかもう一つです」。

倶留尊山の下りはもうすごいもの。特にここは南面だから先ほどの登りと違って乾いている。滑落の心配はあまりないが、一歩々々まわりにつかまって降りるのである。ええ加減降りたところが案内書で“キレット”。これは先ほどのよりは大したことはない。西側へ槻の木道が降りているがそれを右に見て再び登り返す。一休みの効果は大きく、12:50二本ボソ頂上着。

一休みの効果は大きく、12:50二本ボソ頂上着。まあ人の多いこと。亀山峠からせめてここまでと登ってきた人が多いようだ。

鰯の口のとんがった先のこととて狭く、じっとしておれない。ただ狭いがため眺望は格別。

特に南方には古光山への縦走路とお亀池周辺のススキ原がきれいに見えている。写真を数枚撮って10分後出発する。ここからは急斜面と坦々たる路が入りまじって快適。

10分後にはお亀池の真上に着く。この景観はさすが28mmのレンズもワンショットでは捕え切れない。左は亀山峠にたむろしている人。そして大きく広がるお亀池の芦原。周辺の広場で休憩中が無慮数百人。そして右はしに国立曽爾高原少年自然の家。しばらく堪能したところで最後の下りにかかる。

さあこれが時間がかかるノダ。すぐそこに見えているからつい近いと思ってしまうため、実際の時間とのギャップに喘ぐことになる。特に亀山峠からお亀池までのジグザグな道が見た目より長いこと。お亀池を半周して茶屋に腰を下ろしたときはホッとした。時に1時40分。

カンビールを2口で呑み干し、改めて見上げる。カールかとも見紛うススキの斜面は絶景である。特に空が抜けるように青いため、ススキの白との対比がすばらしい。お亀池の周遊道路では逆光に光り、揺らぐススキを狙って大型カメラを持った人が4〜5人シャッターチャンスを待っていた。

近藤さん夫妻がどこかにいないか探したが、考えてみると普通に来て12時には遅くともお亀池に着いている筈で、食事タイムを除いても1時間以上たっている。その時間ブラブラしているわけはないナ と諦め、1:55帰路につく。

ここからはドライブウエイを含めた東海自然歩道を太良路たろうじまで辿ることになる。途中おかしなところでハテどちらかと考えたとき、そばに駐車していた車の中から地の人だろう、オバさんが「太良路へ行きはるんでしたら、その左の道を行きなさい。すぐえぐれた道になって少し歩きにくいけど、近道です。200mくらいで下の道に出ますから」とのことで熊笹の茂るすごい道を下ることしばし。出たところに野菜の無人スタンドがある。大きな大根、トマト、里芋、白菜、さつまいもなどなどみんな100円。
 足は快調。嬉しいことにに靴ずれもしない。目の前に鎧岳と兜岳がはっきりして来、特に鎧岳がその威容をだんだん大きくしてくる。
 2:25太良路への道を右に見送り、かつらへの道をとる。曽爾川の低い冠水橋を渡り、葛バス停に2時40分着。見ると三重交通は毎時18分。あと半時間だ。奈良交通では日に1本の榛原行きがすぐ(2:58)来ることになっている。これで行ったら案外早いかナとも思ったが、いやいやサニットの切符が無駄になるし、ましてや一停留所奥へ来ているのだから坐れるだろうし、我慢しようと決める。

葛のすぐ裏(というより上)に鎧岳の絶壁がのしかかるように迫る。写真を撮っていた人に聞くと、「11月3日に来たんですが霞んで見えなかった。鎧岳はもう少し南に行くともっととんがってすばらしい。今日屏風岩を歩いて来たがいい所ですよ」。
 夫婦連れが来る。聞けば赤目から落合を経て歩いて来たという。太郎路で2:18のバスに乗れなかったため奥まで歩くというので、ここで大丈夫でしょうと一緒に待つことにする。

ところがなかなか来ない。夫婦連れのほかにここの田舎に帰って大阪に戻るらしい親子4人連れと計7人で待つことしばし。3:30を過ぎて漸く来たバスは満員ではないか。半時間も待って乗れないのでは悔しい。7人で押し込む。バスは満員となり次の太郎路はみごとに通過。
 さあ、ここからが苦行のはじまりであったとは神のみぞ知る。大体満員で足さえ動かせない状態のところへもってきて渋滞が始まったのである。快晴の紅葉シーズン、連休の初日の3時半という最高のときであるため帰路につく人のラッシュが始まったということ。とにかく狭い香落渓こうちだにに臨時バスを含めてマイカーが行列し、ひしめいてトンと動かなくなった。最初おとなしかった乗客も次第に「運転手、どないなってんのか説明せんか」など罵りだした。しかし運転手も頭にきたのか外へ情報を求めるのみで、一向に説明がない。車内は次第に暑さとしんどさと諦めで,倦怠の空気が支配し出す。
 40分で名張に着く筈が、2時間15分かかって6時前に到着したときは、つるべ落しの秋の日はとっぷり暮れてしまっていた。

足はガタガタ、車内では数回起立性貧血に見舞われるで、快適な前半に比し、最悪の後半であった。このため5時半からのオミヨのコンサート(近鉄小劇場)に約1時間半も遅れるハメになった。