実は高山右近遺跡巡り  2022年3月16日

♣ 独 行 “春日神を祀る八幡さん3社目” ♣

Y子さんをCurvesへ送り出してから外を見るとドピーカン。腰の痛みは意識から消えて急に歩きの準備「2時間1本の茨木方面バスで往復しよう」。慌てる※※は貰いが少ないとはよく言ったもの。忘れ物だらけだが、蒼穹を見上げると今更取りには戻れない。“エエィ、行こう”。

「高槻城(東)大手門跡」の碑。高槻市駅からここまでほぼ一本道だが、謂うところの“桝形道路”で行く手が見えず大変。というのは珍しくスマホを忘れ、プリントしたMapも置いてきて、もうたいへんだったのである。でも殆ど迷わず目指すお社の社叢(というより大木)が見えたときは心中喝采ものであった。“カンは鈍っていない”。(・∀・)ウン!!。

“天児屋根命を併祀する八幡社”こと八幡大神宮が高槻に3社(正確には4社だが1社は併祀無し)。その最後の1社に詣でた。社殿は一番“らしくない”が、境内の古木大木がそれを補って余りある。祭神は 応神天皇、天児屋根命、建御名方命。写真左から社頭鳥居、拝殿、本殿覆屋。右はケヤキ(欅)の古木株で“元”神木。 他の2社は 土室   塚原

境内社が2社。左が月読神社、右が稲荷社。奥の大木は“現”神木のアベマキ(d)。市の保護樹木の一。

本殿裏の老木はクヌギ(椚木)。これも保護樹木。このほか元境内と思しき場所にもう1本古木があった。

これで今日の目標完了。最近とみにターゲットが減り、歩行距離の縮小化が目立つが、歩き始めると休憩なしにナンボでも歩いてしまう悪弊が治らないので、自重している証でもある。今日は道を西側に移して高槻市駅に戻ることとしよう。まずは城跡の公園へ。

高槻城公園(城跡公園)はサンデー毎日画家?が集結し、イーゼルを立て、傑作めざして精を出して御座った。

Sample

旧笹井家住宅を転用してできた高槻市立歴史民俗資料館。公園内にある。

高槻藩主だったジュスト高山右近の像。手のキリスト磔刑十字架にはJNRI(INRIと同じ)の字が記されている。
(Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum=ユダヤ人の王 ナザレ人イエス)

公園北隅に「高槻城跡」の碑。

高槻商工会議所のそばには「高山右近天主教会堂址」の碑。

野見神社。牛頭天王社として祀られ高槻城守護社とされたが、高山右近が城主の時に社殿を破壊し社領を没収。のちの城主松平家信が再建した。(式内野身神社の論社とされるが疑問視されているらしい)

カトリック高槻教会聖堂(高山右近記念聖堂ともいう)。前庭には聖堂に向かって跪く高山右近像。

こうやって終わってみると、今日は八幡さんへ行った筈が、高山右近遺跡巡りの様相。
信ずるところを貫いて身分をも擲ち異国に流されて悲運の生涯を閉じたとされる右近だが、一方で寺社を破却したというあたり、どこかの国の過激派が仏教遺跡を壊したことに共通点を見出して、複雑な気持ちは否めない。

=JR茨木駅=阪急茨木/茨木市(阪急)=高槻市→八幡大神宮→高槻城公園→野見神社→カトリック高槻教会→高槻市(阪急)=茨木市/阪急茨木=JR茨木駅=

今日の総歩数 2.8`≒ 4,700 歩(概算)   ̄|△| ̄   ルートマップは省略