御免なさい、大けやきの序で でした
2021年8月25日

♣ 独 行 “布留大明神こと野間神社再訪” ♣

「ついで」なんて罰当たりな、と責めないでください。確かに野間神社は二度目で、初めて参拝したとき「天然記念物・大けやき」の近くに来たのにものの見事スルーしたのがずっと気になっていたものですから。

箕面森町近隣センター3番乗り場は能勢方面。奥田橋循環Gバスは一日3本で、土日祝は運行がない。11:49発.

12:12地黄局前BSで下車。あの向こうのカーブミラーまで50bがとこ戻る。遠く妙見大堂越西547bピーク。

ここ。“一の鳥居は東向き(または西向き)で社殿はすべて南向き”というのがよくあるパターン。ここもそう。社叢が見えるがあそこまで200b。

途中に栗の木。一つしか写っていないが、たくさん生っていた。

到着。社頭灯篭には「地黄邨」。じおうむら。#地黄村(明治22年町村制施行時に野間中村・野間稲地村・野間出野村・野間西山村・野間大原村とともに→)東郷村となり、昭和34年能勢町に編入される。

かの並河誠所が仕切ったと伝える式内社社号標石「野間社」。山田の伊射奈岐社をはじめ北摂20社参拝済。

式内社・野間神社(左から社頭鳥居、拝殿、本殿)。祭神は饒速日命(主祭神)、栲幡比売命、鹿屋比売命。
3月に始まった拝殿改修工事はほぼ完成の模様。賀意。

推古13年(605)創立。奈良石上神宮よりご神体を奉遷と伝え、拝殿扁額は布留大明神」

境内のベンチで昼餉をつかわせていただく。鬱蒼たる社叢の中に広い境内。安物の助六寿司でも美味しく頂けた。

神社を出て田んぼ道を1`南下。国道477号線へ抜ける途中で大けやき遠望

R477へ出た。標識「国指定天然記念物/野間の大けやき⇒」

Sample

その大けやき。説明板を抜粋すると、「樹齢千年以上と推定されるこの樹は、目通りの幹回り約14b、高さ30b、枝張り南北38b、東西約42bあり、一樹にしてよく社叢をなし、けやきとして大阪府下で一番、全国的にも第四番目を誇る巨樹である」云々ということだそうな。DATAをひっくり返すと、以前来たのは 2010年秋 。余野から野間隧道を抜けて歩いて来たのはいいが、帰路R477が土砂崩落で通れなくなり大きな回り道をしたとある。そのせいで見落としたらしい。

千年からの歴史を見てきた巨木にいつのころからか住民の信仰が芽生えたとして一向に不思議はない。この小祠は蟻無神社」。説明板要約「この大けやきを中心とする一画の地は、もと「蟻無宮」という神社の境内で、この樹はその神の憑り代、すなわち御神体ともいうべき神木であったと思われる」また「有無社は紀貫之を祭神としており、貫之が同じく三十六歌仙の一人である源公忠に贈った歌「手にむすぶ水にやとれる月影の/あるかなきかの世にこそありけれ」により社名を付したという」。だと。

そんなこんなで時計を見たら次のバスまで半時間。一日3本しかないバスを逃したら大変。後ろ髪を引かれる思いで現場を後にする。帰りのバス乗車は時刻表とMapだけでは稲地BSが最寄と考えていたがなかなか、、稲地は山にかかる斜面にあってどう考えても“登山”になる。一つ手前の本滝口BSに変更して歩き出すが、気が付いた。。

この道は11年前に辿った府道4号線(茨木能勢線)だ。古い妙見参拝路の一つ?「右妙見山/左奥之院妙見山/道」の碑。

本滝口は野間中の交差点と同じ所。ちょっと急いで着いたので時間が余る。

もう一つBSを遡る?と旧東郷小学校前BSだ。背後の鉄筋コンクリート造はまさしくそれ。11年前のMapには「旧」は付いて無かった。因みに能勢町内にはもと「西郷」という在所もあったらしいが今は地名として残っていない(みたい)。

このBS標識前でザックを下ろしてお茶を飲んでいたら前のお家のご主人が物言いたそう。話しかけると「妙見の方へゆくの?」「そう」「ならバス停はもうちょっと向こう」と右方10b先を教えて呉れた。ありがとう。

=千里中央=箕面森町近隣センター=地黄局前BS→一の鳥居→野間神社→野間の大けやき→野間中(本滝口BS)→旧東郷小学校前BS=箕面森町近隣センター=千里中央=

今日の総歩数 8,232 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略