走落はしりおち神社から野間のま神社へ  2010年10月22日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−11−” ♣

余野へ行くのははじめての経験である。余談だが、走落神社は延喜式には茨木と同じ嶋下郡に載っていたという。たしかに妙見山塊で野間と余野は厳然と隔てられており、トンネルもなかった時代はこれが自然だったのかも知れない。(それにしても現在、いまだに余野と妙見口やときわ台・光風台のある地区は完全に別と思うのに同一町内なのである。更に間をつなぐ黒川地区や妙見ケーブルなどは兵庫県なのダ。ようわからん。)何はともあれ千里中央から乗り換えなしで48分で余野に着いてしまうのは便利なことだ。希望ヶ丘という住宅団地ができたことも与って力があるのかもしれない。
ㅤ余野のバス停前のスーパーでお昼を仕入れたが、ナンボ探してもおにぎりやお弁当の類が一切ないことに改めておどろく。下記献立がパンになったのは“しょーゆーこと”。

本日の昼食=爽健美茶+カレーパン+バターブレッド+平種無柿。

バス道路(左)に面し、浅田バス停そばに鎮座まします走落神社。ご多分に洩れず明治40年に近在9社を合祀したという。「はしりおち」って珍しいねェ。

走落神社拝殿。もともとの走落神社が中世に3社に分離し、明治末期再び一緒になったという。

走落神社本殿。姿のよいお社である。 攝津名所圖會に曰く 走落神社(はしりおちのじんじゃ) 切畑村にあり。〔延喜式〕に出づ。但し島下郡に載す。此村の生土神なり。今走湯天王と稱す。」

走落のお社参拝を終えてバス停に向かう。正面は妙見山塊の一つ・光明山(639m)。

役場前「余野バス停」より北望。この423号線を北に向かうと京都府亀岡市に出る。

バス停前のスーパーで冒頭の食糧を買い込んで「牧」行きバスに乗り、妙見口で下車。これが誤算。妙見口が峠だと勘違いしていた。ここから野間峠登りが始まった。

途中に気温表示板。多分冬の道路凍結対策のためだろう。
ㅤ現在気温「18℃」。

野間峠バス停(尤も日祝に2本しか便がない)で、ここから正面の鳥居をくぐると妙見山上への道になる。キリがいいので閉店中の“峠の茶屋”の脇に腰を据えて昼食。この先(右方向)100mにある野間隧道の中が峠のピークで標高約500m。ちなみに妙見口バス停は367mで本滝口交差点は237m。道理で下りが長かった訳だ。

野間隧道。真っ直ぐでさほど長くもないのに向こうの出口が見えない。多分東口路面と西口天井面の高さが同じなのでは?

トンネルを出てしばらく行くと「史跡 しおき場」。識者によれば中世二つの勢力下の住民が血を見る争いを繰り返し、その決着として数人が処刑された場という。正面の碑には「南無妙法蓮華経」の文字。

そしてその脇にこの記念碑。「耕室昌舜/即心/即佛」と読み取れ、『一件落着』を意味するのだとか。知りませんでした、ここがネット上名うての“心霊スポット”だったとは。

本龍寺参道にたつ鳥居。妙見さん自体星辰信仰と日蓮宗の混淆のようだし、明治の神仏分離令をしぶとく生き抜いてきているのですネェ。

ススキ。ようやく。

妙見奥の院への参道。以前歌垣山から奥の院へまわり、地黄へ下りたことがあったっけ。(詳細は→こちら

ようやく野間のとっかかりが見えてきた。結構長いのです。この道は。

南にこんもりと妙見山の山容が大きい。

野間の「力石ちからいし」。古くは石占に、時代が下っては村の若衆の力比べに用いられたものという。右後ろは妙見奥の院への町石(八丁)。

野間中にある六地蔵の板碑だが、これは珍しく左端に阿弥陀如来坐像が併せて彫られている珍しいもの(室町時代)。

これも近くにあった。南北朝時代の「地蔵一尊種子板碑」といい、町の指定有形文化財。

コスモス。後ろは野間の大ケヤキではありません。念のため。

農道のはるか向こうに野間神社の杜が見えてきた。ひろびろとした風景を見ていると“能勢って山の中だ”ということを忘れそうになる。

野間神社に辿りつきました。静かです。

18世紀に建てられた社号碑です。当時これは多分オーソライズの道具であったのでしょう。

野間神社拝殿。

野間神社本殿。 攝津名所圖會にはこう記す。 野間神社(のまのじんじゃ) 地黄村にあり。〔延喜式〕に曰く、今布留社と稱す。野間地黄の生土神にして、例祭九月十五日。上棟文に曰く、天正十九年重修。」 そう、このお社は布留社とも稱される奈良の石上神宮からの分霊を祀った伝承をもつのだそうです。拝殿の扁額には「布留大明神」とありました。

477号線が土砂崩れのため通行不能で妙見口へ行くバスは知名湖畔を迂回しているという。よく聞くと徒歩でもダメだという。迂回路を歩くとひとりごちたら、件のガードマン「ヤメトキナハレ。車ばっかりで単調で10kmはおまっせ」。やむなくおすすめの半時間後のバスを待つハメになる。おかげで黒川のダリア園を遠望できたが。

野間の大ケヤキ。そばまで行っていたのに気付いたのはバスの中から。アッというまに通り過ぎて写真が撮れなかった。(能勢町のサイトの写真をお借りしました。謝々。)

つけ捨てし野火のけむりのあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき(尾上柴舟)

今日の総歩数 16,709歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら