箕面の街の史跡探訪一段落  2019年11月19日

♣ 独 行“MVG「箕面の町の史跡探訪・半町・牧落・萱野コース」” ♣

MVGさんの箕面の街歩きコースには5つ挙げられており、乃公は4つ曲りなりにも完歩した。細かく言うと2つは山麓コースで少しは山に入ったりする。そのため案内板も少ない。あと3つは正味街歩きで比較的案内板・説明版の類も多い。今日歩いた最後の1コースは後者で、14のポイントすべてクリア。ほぼ全部案内板があったことも大きいが、乃公独自の勘の良さ(?)も与って力になった。そう自負している。
ㅤ千里中央から井口堂行きバスなんて初めて乗ったので通るコースが分からない。日が短くなったのに歩き始めが14時では遅いよなあ。下車したBSもエエ加減。スマホもタブレットもなしで、これはこれでいいのだ。(と納得する)

13:55桜ヶ丘BSで下りたはいいがまあ探した探した。下左の写真を撮ったのが14:25だから半時間ウロウロしていたことになる。最短距離で1.4km(16分)で行けたのに とは帰宅後GoogleMapでの後出しジャンケン。大体電車賃をケチってグランドパスで動けるところをという発想がセコイのか。

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C瀬川神社。(左=社頭一の鳥居、右=二の鳥居と拝殿)二の鳥居扁額には「天児屋根命神社」とあり、これが正式名称(瀬川神社は通称名)なのだそうな。

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まあ探した探した。B弁慶の鏡水。右の写真に白く見える説明版によれば「この地は平安時代の末期一ノ谷での源平合戦に向かった武蔵坊弁慶が自分の姿を水面に映して戦況を占ったという池の伝承地」ということだと。今や水は涸れ干上がっている。

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A瀬川・半町本陣跡。今や箕面自動車教習場と化し、説明版に記された「建物の一部は現存し」は現存しないようだ。ちなみに半町は「ハンチョウ」でなく「ハンジョ」

そのすぐお隣にある「蓮如上人御由緒地」の碑。左奥の浄円寺に関わるものらしい。このコースには無かったのでパス。

@牛回しの塔。説明版には「牛まわしの神様」とあり碑面には「大威徳明王」と彫られている。農耕主体のこの地域で牛が大切にされていたことを示す文化財。

D桜の地蔵。地区のお地蔵さんはじめ石仏を集めたお堂。(ガイドマップにミス★)

E金龍寺(こんりゅうじ)。鉄筋コンクリートの堂々たる構えだが創建は16世紀と伝える。(ガイドマップにミス★)裏へ回ってみると佐倉という表札。ご住持は此処「桜」地区に所縁あるか?

F牧落八幡大神宮。MVGさんの写真は古いようだ。拝殿真ん前にこういう玉垣は今、見当たらない。

H牧落の高札場跡と道標。向こうへ伸びるのが旧西国街道。左の碑「みのをみち」、右の碑「大坂/はつとり/天神/四り半/二り/道」からするとこの街道に直交して左箕面、右大阪方面という交通の要衝だったのだろう。

G郷倉跡と力石。左は消防の牧落分団格納庫で右側のシャッターに「牧落郷倉」とある。今は年貢米など入っていなかろう。その右下に小さく見えるのが「力石」(右写真参照)で、若い衆の力比べに使われたと伝える。

高札場跡から約400mでR171の牧落交差点。東行すぐ右へ旧街道を分ける。

稲集落に入ってすぐ右手方向から“入ってこい”の気を感じる。何の標識もなかったが100mばかり入るとお寺さんの大屋根。今日の勘当りの最たるものではあった。I教学寺。屋根工事中だったので正面写真を撮ってすぐ失礼したが、ここの住職令息がカルピスの会社を東京でつくった(1919)とは知る人ぞ知る。

J稲の地蔵。どこでも同様だがここも地蔵ばかりでなく如来像や五輪塔が多い。昔のお墓はこのようなものをお墓の上に置いたと伝える。

K芝の高札場跡。一里塚があった場所でもあるというが、今や何もない。説明版までみごとに錆びてしまっている。

萱野三平墓への分岐表示の碑。帰り道を考えて先に旧邸を訪うことにする。

萱野三平旧邸門。

M萱野三平旧邸全景。左の漆喰壁が長屋門で、三平はこの一室で自刃した。俳人でもあった彼の雅号にちなみ涓泉亭と名付けられた。邸内には句碑がある(昔見た)晴れゆくや日頃心の花曇り 涓泉

先程の案内碑にもどり萱野の集落を出外れると千里川へ向かっての畑地帯となり、台地上には右に箕面市民病院、左へKホームセンター、そしてその手前斜面には地区の墓地(開発によりここに移転したという)。中央左の白い舎のすぐ前に墓碑がある。

L萱野三平墓碑。萱野集落、そして箕面の山々を背に。

船場西の交番前紅葉

上記中★印はMVGさんのガイドマップに誤記と思われるものがあったので特記した。地図上で左がE、右がDになっているが、左がD、右がEとなるのが正しいと思われる。

今日の総歩数(不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら