酒屋神社からダブル咋岡くいおか神社へ  2015年9月13日

♣ 独 行 “山城の式内社巡り10回目” ♣

南山城も残り少なくなった。コースの組み方が難しく、この同志社を一周するコースなどは長丁場になりそうで二の足を踏んでいたが、若干涼しくなったことでエイヤッと踏ん切ってみた。果たしてどうなりましたか。結果はご覧になってのお楽しみということで。

 ▲なお、お社記事に特化したページは 当所     ▼山城の式内社一覧ページは 彼所

久し振りに同志社前駅頭に降り立つ。11時。今日はここがスタートでありゴール。日曜でもあり学生の姿はほとんど見られない。余談ながらこの駅のホームは改札側だけで上下線共用。向かい側は閉鎖されている。

府道22号線を北行・左折するとまもなく防賀川沿いの道になる。この撮影地点から下流は工事中。何の工事かって? 実はこの川、天井川だったのだ。この辺より下流は人家より高いところを流れ、交差する道路や鉄道の上を「橋」で越えて木津川に向っていた。それを平地より低所に流路を下げる工事中。いまだにJRを跨ぐ煉瓦造の「橋」が残っている。木津川流域両岸に多々見られる奇景である。

22号線のバイパス(左折すると同志社正門前)を越えると間もなく今日のターゲット@酒屋神社。11時半。一見して地域の篤い崇敬の心が伝わってくる。

折しも今日は興戸(こうど)地区の運動会。神社横の広場は大賑わいで、スピーカーの音が数キロ四方に飛んでいる。

興戸地区の田圃を潤したであろう溜池。ここから南へ同志社の丘陵越え。

途中で見かけた。辛いが敢えて載せる。請願『何とかして』さえらのすし国語審議会謹白。

東西2kmにわたる同志社キャンパスを2本の公道が横切るが、その一つは比高差約30mの峠。南・普賢寺の集落に着くと右にこの立派なお寺が迎えてくれる。観音寺。本尊十一面観音立像は国宝という。

Sample

境内の鐘楼のそばに「二月堂竹送り復活の地」なる碑を見つけた。2月のお水取り拝観を思い出す。お、そろそろ正午。

本堂に向って左にあるこの鳥居は今日のターゲットA・地祇(ちぎ)神社。観音寺の鎮守だった。石段を上がった本殿裏に「塔心礎」の表示とその遺跡があるという。

観音寺の参道だが、雰囲気は神社の参道みたい。両方か

参道を100m余で左折すると普賢寺川沿いに三山木駅方面に向かう。振り返れば西に京奈和道を望見。

最初何かわからず、写真を撮っただけ。帰宅後「ASW 28-18」を頼りに調べたら「グライダー」「同志社」のキーワードが出てきたので、これは多分同志社大学航空部のものと推測した。翼を外しカバーをかけられると素人には何か全く判断がつかない。

北方丘陵上に同志社の校舎がちらりほらり見え隠れする。

「日本最初外国蠶飼育旧跡」の碑。仁徳天皇と皇后・磐之媛の養蚕伝説に因んで建てられた。

22号線バイパス“山手幹線”の同志社南交差点。新島記念講堂の塔が見える。

三山木駅前に建つ「仁徳帝筒城宮跡/朱智神社/是二十八丁?の碑。GoogleMap上では 5.6km

そこから右折、22号線を南下すること約1kmで今日のターゲットB佐牙(さが)神社到着。時まさに13時。

22号線を渡り返しJR、近鉄を越えてからは田圃道を2km余りひたすら歩く。13時半木津川サイクリングロード休憩所着。これもベンチ。

道を間違えて裏口から今日のターゲットC咋岡(くいおか)神社到着。河岸の飯岡丘陵上に東方木津川に向って坐す。眺望絶佳。

割拝殿に目立つのが米寿記念の奉納絵馬。桝と掻き棒というデザインがこの辺の習わしらしい。

社頭の万葉歌碑「春草を馬咋山(んま・くいやま)ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり」(1708)

飯岡集落は立派なお屋敷が多い。丘の町であり坂の町。これから向かう草内に対し比高差約20mの高台にある。丘陵中央には古墳群。

丘を下ると目の前に今日の最終ターゲット・草内坐咋岡神社の社叢。田圃道を大凡1km。遠く愛宕山。

田圃道の遠くに同志社新島記念講堂の塔。

このお社、入口が判らなくて往生する。ぐるり半周したらなんと北向きだったのに一驚。

二の鳥居。これと各社殿すべては西向き。この社域は中世の城跡と伝え、いまも濠や土塁跡が残っている。土塁ははっきり確認できなかったが、取り巻く水路には鯉が泳いでいた。14時半駅へ向かう。

ご多分に漏れず今日も何もなしで終点。悪いことに同志社前駅は売店すらない。駅前のコンビニでパンとコーヒーを仕入れて15時の電車の人となる。それにしても仰山汗かいた喃。

今日の総歩数 19,623 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら