熊本城、そして柳川下り  2014年11月7日

♣ G34会旅行 “九州歌のセンチメンタルジャーニー”-3- ♣

  

旅も3日目で今日が最終日。学生時代の演奏旅行以来1泊以上の旅をしたことがなく(オプションを除く)、しかも全員78歳の“幸齢者”でその上最終日の移動が電車とタクシー。荷物を担ぎながら駅の階段を昇降するのは将に体力勝負である。いかが相成りましたか、まずは下記を御覧うじろ。
 今日のコース=阿蘇駅→(豊肥本線)→熊本駅→熊本城→(午餐)→熊本駅→(鹿児島本線)→大牟田駅→(西鉄線)→西鉄柳川駅→柳川川下り観光(ハーフ引返しコース)→西鉄柳川駅→西鉄久留米駅→(TAXI)→JR久留米駅

クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」

阿蘇山(根子岳)の左に朝日が出た。これを数分前に屋上の桧露天風呂から見たのダ。

ロビーで出発前のくつろぎのひととき。

シャトルバスで阿蘇駅(半世紀前は「坊中駅」)に着くと・・・

えっ、これは噂に聞く七つ星の専用バスではないか。社内の調度は木製だ。

そう。クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」が停まっていた。この列車の3泊4日コースは4日目が金曜日(今日)になり、6時03分当駅に着き、8時50分豊後竹田へ向けて発車、大分、湯布院、日田、久留米を経て終点博多に15時31分帰着するという。我々の列車が4分先に発車し、七つ星の発車を見ることが出来なかった。
個人的に言えばこの7月、偶々北海道洞爺駅停車中のトワイライトエクスプレスに遭遇した、それと同様のラッキーチャンス。

立野たての駅でスイッチバック。珍しい。ここも豊肥本線だからあの七つ星も必ずここを通るのだ。

肥後大津で乗り換え、阿蘇から1時間半かかって熊本駅到着。

熊本城は学生時代以来だから実に五十ウン年ぶり。西側(裏側)から見た天守と小天守

「三の天守」と呼ばれる宇土櫓うとやぐら。3重5階地下1階

宇土櫓から大小の天守を望む

Sample

正面から見た天守の威容(東向)。大天守は3重6階地下1階、小天守は3重4階地下1階
onmouse-yossan撮影画像up。謝々

2007年に復元が完成した本丸書院大広間

「二様の石垣」。清正時代の勾配の緩やかな石垣(右側)と細川時代の勾配の急な石垣(左側)

御城近くで昼食をしたため、駅に戻り、大牟田へ出て西鉄で柳川へ。ここで重大事項に気付き、水郷巡りを端折り、久留米で新幹線に乗り換えるよう変更した。“沖のはた”に行けなかったのが何としても残念・・・

水郷巡りの舟はこの三柱神社大鳥居前からスタートする。かねの鳥居”?

神橋のそばが発着場。欄干らんかん橋”?

われらがお召舟の船頭さんは美声(負けソー、いや 負けた)

「史蹟柳川城堀水門」で右折

これがその水門。過日の白秋祭を過ぎて急に川の水位が下がったとか

白秋歌碑♪ついかがむ おと女童めわらわ 影揺れて まだ寝起きらし 朝の汲水場く み づに♪ 白秋 いいねエ

水と柳と。それ以外に何が必要なのか?と問われているみたい。“水に映ったそのかげ”?

水産堂のなまこ壁。ここにも白秋 ♪夕凪の 干潟まぶしみ 生貝や 彌勒みろくむく子の 額髪ぬかがみにして♪

三橋美智也の歌のように♪嬉しがらせて泣かせて消え♪るのだろうか。そんなことないよね、若いおんな船頭さん。(Mr.Otokomae撮影:謝々)

最後にもう一つ白秋の歌碑 ♪色にして 老木の柳 うちしだる 我が柳河の 水の豊けき♪

 昭和33年3月26日久留米演奏会の前日 有志が柳川に遊んだ(下の写真共々)

<柳 河> ♪もうし、もうし、柳河じや、/柳河じや、/かねの鳥居を見やしやんせ、/欄干橋を見やしやんせ。/(馭者は喇叭ラッパの音をやめて、/赤い夕日に手をかざす。)/あざみの生えた/その家は、/その家は、/旧いむかしの遊女屋ノスカイヤ。/人も住まはぬ遊女屋。/裏のBANKOバ ン コにゐる人は/あれは隣の継娘、/継娘。/水に映ったそのかげは、/母の形見の小手鞠を、/赤い毛絲でくくるのぢや、/涙片手にくくるのぢや。/もうし、もうし、旅のひと/旅のひと/あれ、あの三味を聞かしやんせ、/におの浮くのを見やしやんせ。/(馭者は喇叭の音をたてて、/あかい夕日の街に入る。)♪ 白秋「柳河風俗詩」

これですべての予定終了。久留米乗換、博多乗換とせわしなくも何とか予定の山陽新幹線の人となった。「終わり良ければすべてよし」。高森ツアコンさん、ST金庫番さんに深甚の感謝。
(今日のルートは下記マップをクリックしてご覧下さい)