34会喜寿旅行は“八重の里”・後編  2013年10月2日〜3日

♣ Glee34会会津旅行・後編 ♣

   

御宿東鳳の宿泊室から望む早暁の会津盆地。

このホテルは遠い記憶を辿れば47年前に投宿したことがある。のかな?
47年前といえば会津若松城が現状に再建された年だ。

朝食後バスで一路山形県米沢市へ。“なんで会津旅行に米沢が入ったン?”という疑問。高森城郭担当大臣の意向で、このあたりの武将/城郭 といえば、会津若松に次ぐのは上杉家の米沢城址に如くはなし ということなのかな?上杉家は会津からここ米沢に移封せられたともいうし。
 上杉神社は米沢城址一帯に広がる松が岬公園の一角に鎮座する。

名君の誉れ高い上杉鷹山公の像。遺訓♪為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり♪は有名。

上杉神社。

上杉謙信像。

上杉鷹山公立像前にて【YEさん撮影・謝】

米沢藩主上杉家墓所

来た道を戻り喜多方市へ。ここは会津盆地の北方に位置し、OS先輩の出身地(知る人ぞ知る)。そして何よりも「喜多方ラーメン」の本場。蔵・桐の町としても有名なのだそうな。・・・・・ いま気が付いた。北方(キタカタ=会津盆地の北方)か!? 合併した旧町村名に“きたかた”の名は見当たらない。

この店に入りました。香福さん。絶賛ブログもありましたョ。

当店ではチャーシュー麺ではなく「お肉ラーメン」なのです。

それがこれ。分厚いチャーシューが10枚以上積み重なって入ってました。

こんなの川越でも見たよ。

これは旅館か。

さすが東北。コスモスが既に見ごろになっていた。

そして最後の目的地・裏磐梯の五色沼へ。(祈=晴れてくれ)

五色沼到着。47年前にここで沼めぐりをした記憶はあるのだが、どう歩いたかは全く霞の彼方だ。ここまでやって来て裏磐梯の爆裂火口が望めないのがいかにも残念。雲また雲。画竜点睛を欠くとは将にこのこと。

それでも独りで沼岸の遊歩道を4〜500m向こうまでちょっと歩いてみた。

紅葉がはじまっている。

ということで、裏磐梯山をバックに(したつもりで)五色沼での記念写真を撮り、2日にわたった記念旅行のメインが終了。あとはバスで磐越西線の猪苗代駅へ向かうのみ。

猪苗代駅でこの3人を含む8人を降ろし、残る9人は一路郡山経由の帰途につく。【YEさん撮影・重ねて謝々】

磐越道に上がる前にようやく磐梯山の頂上付近が見えた。ま、終わり良ければ何とやら。

乃公は郡山駅でOK君あてのメール便を手配。新幹線はとった切符がバラバラで、関東メンバー4人関西勢4人とは同列車ながら郡山駅頭で失礼してしまった。OK君の状況については、出発時から数時間のあいだ気が気ではなかったのだが、幸い会津へのバス中に本人からの連絡でさしたることなく、しばらくの入院でOKなることを確認してホッとしたのであった。別行動となった8人はもう1泊して 塔のへつり→大内宿→会津武家屋敷→さざえ堂→飯盛山 などを観光し、丸1日遅れて帰宅した由(こちら)。かくしてGlee34会喜寿記念旅行は大団円。

 傘寿旅行できるかな? やりたいな・・・     やったよ!