霰松原から大依羅神社へ  2011年2月5日

♣ 独 行 ♣


霰松原荒神(天水分豊浦命神社)】霰松原公園。乃公は「万葉を歩く」講座で一度訪れた。(→ここ


天水分豊浦命あめのみくまりのとようらのみこと神社旧蹟」碑。ちなみに式内社としての社号標石は、明治40年に遷座した止止呂支比賣命神社内の霰松原荒神社前に据えられている。


3つの祠が並立しているが、真ん中が霰松原荒神の祠。いずれも北向きである。左が金高大明神(商売繁昌)、右が朝日明神・榎明神・滝川稲荷大明神(商売繁昌・農業の神・所願成就)。 荒神祠(くわうじんのほこら) 安立町にあり。社地を霰松原といふ。祭神三座、奥津彦命・奥津姫命・土祖神、都て歩王社と稱す。(攝津名所圖會)。 これがもひとつよく分からない


努能太比賣命神社跡地】杉本町会館。右手掲示板の向こう、塀の中に右の碑がささやかに建つ。onmouse-up


努能太比売命ぬのたひめのみこと神社社址」の碑。下記のようなことでこれも明治40年大依羅神社に合祀された。


大依羅神社(草津大歳神社・努能太比賣命神社合祀)大依羅おおよさみ神社一の鳥居。ここは北向きなのに社殿が正面になく、東向きになっている。


本殿。千木が印象的。ここで幸いにも神社研究の碩学とお逢いしてしばし高説を拝聴した。


大依羅神社本殿。なんともすっきりした佇まい。 攝津名所圖會に曰く、「大依羅神社(おほよさみのかみのやしろ) 住吉の東南三十町許り、大和川北堤の下庭井村にあり。〔延喜式〕に曰く、大依羅神社四座、大、月次、相嘗・新嘗。祭神大己貴命・月夜見尊・垂仁天皇・五十帥宮の四座なり。(後略)」。 社頭の掲示によれば祭神は 大巳貴命,月読命,垂仁天皇,五十猛命,住吉三神のほか建豊波豆羅和気王、大山咋大神、草津大歳(くさつおおとし)大神、建速須佐男大神、奴能太比賣(ぬのたひめ)大神、奇稲田媛大神、八桂御子大神 などとなっている。建豊波豆羅和気王たけとよはづらわけのきみとは在郷の権力者=土豪らしい。それを祀ったお社に大山咋以下をそれぞれ祀った地区のお社が合祀されたということのようだ。でもここには住吉三神の名号は見えず、攝津名所圖會の時代には祀られてなかったのか。


草津大歳神社跡地】苅田福祉会館内にある「式内草津大歳くさつおおとし神社趾」碑。明治40年に大依羅神社に合祀したため今や“跡地”。閉まっていたが掃除中の係の女性に無理をお願いして鍵を開けて入れて頂いた。記して感謝。


会館内に聳える大楠。裏門から写しても全部入りきらないほどの巨木だ。