鴨、野見そして三島鴨  2010年10月26日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−12−” ♣

今春 北摂の式内社めぐりを始めたのは高槻からであった。それが半年すぎていまだに残っていたところ、それが今日目指した3社である。攝津名所圖會が万能ではないのだがそれに載っていない鴨さん(川西の鴨サンも載ってなかった)、2回も探し回って探し当てることが出来なかった幣久良さんなど、ようひっかかりますなァ。

鴨神社拝殿。延喜式神名帳には「三嶋鴨神社 伊射奈岐神社二座/並大。月/次新甞。」とあるだけのようだ。(「攝津名所圖會」所載確認できませんでした)

高槻市赤大路町という茨木との市境に鎮座する。まわりはマンションだらけでマンションの中の通路でヒョイと左を向くとこの風景。、せっかくの鎮守の森がまったく見えず、右往左往するハメに。

本殿。周りのマンション敷地はすべて神社の境内だったという。そうか、本殿、拝殿全て鉄筋コンクリートで建て替えられているのはそのおかげか。(この罰当たり奴が!)

ここから高槻駅へ171号線を歩き出したが、あまりの車の多さに辟易、明治製菓前から高槻市バスのお世話になった。

まず天神山へ。I垣君邸が近く、ここは彼のウォーキング範囲のようだがそれはともかく、この坂を登る。正面は二の鳥居。

境内の南端の一角を占めて野見神社が鎮座まします。じつはこの地点が古墳(円墳)だという。

野身神社(ここで実見したところではすべて野身であって野見ではない)。 攝津名所圖會に曰く 野見神社(のみのじんじゃ) 當社(編者注:上宮天神祠の)坂口にあり。〔延喜式〕に出づる。」 実は高槻市内に野見神社は二座あり、もう一座は今春訪れた(→ここ)。

折角上宮天満宮を訪れて肝心の天神さんにお参りをしないのも如何なものか、と。
このお社は珍しい。殆ど竹で出来ているのだ。

道路工事で境内外となった昼神車塚古墳(前方後円墳)。

ここから改めてJR高槻駅へ向かい、午餐後、1時間に2本の市バスに乗って三島江方面を目指した。西面口さいめぐち下車。見当をつけて東方向へ歩く。倉庫・運送業が軒を並べている。ほどなく郵便局の向こうにささやかな森が見える。“エ?近いやン”といううちに到着したのはまさしく目指した「三島鴨神社」の北門であった。

三島鴨神社拝殿。 攝津名所圖會に曰く 三島鴨神社(みしまかものじんしゃ) 三島江村にあり。〔延喜式〕に出づ。唐崎・西面・柱本等の生土神なり。祭神事代主命。當社・伊豫三島・伊豆三島、これを三個の三島といふ。〔風土記〕に云ふ、御島神社は大山積命なり。難波高津宮御宇此神百済國より渡來し給ひ、津の國御島に坐すと云云。當社いにしへは堤の上にあり。其時の標石今に社前にあり。文字摩滅して分明ならず。」

本殿。このお社の拝殿が再建されるまで本殿前で直接お参りしていた。その習慣がいまだに残り、拝殿と本殿の間の柵が開いている。

二の鳥居。先の神戸淡路大震災のとき倒壊し、再建されたもの。扁額は「三島鴨大明神」。序でながら、お社は南面だが微かに西に振れている。

三島鴨神社から100m、淀川堤防上から上流・北東方面を望む。遥か遠く比叡山。左手前は三箇牧さんがまき小学校。場所は異なるが、ルイス・フロイスがその「日本史」に書いた戦国時代の三箇城と関連はないのかな。あれは大東市内の三箇なんだけれどね。

同所から南南東・生駒山方面。

同じく西方・六甲山(高圧線鉄塔の向こう)方面。正面の路地は三島鴨神社への集落からの参道で、途中に一の鳥居がある。鎮守の森が“見えますか?”

三島鴨神社の宮司さんに教えてもらった阪急バス柱本線に乗るべく西行。西面口の交差点向こうに「三島江」停留所を見つけた。次の便が10分後。終りよければ全てよし。

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら