須久久すくくと新屋に坐すお社と  2010年9月20日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−6−” ♣

蒸し暑い日。もうすぐお彼岸というのに。遅かったが3時に出、古江台から小野原東経由<で茨木市清水〜宿久庄を歩く。初春数回に分けて歩いた式内社の落穂拾いのウォーキング。秋の巻はじまり、ハジマリィ〜。

この狛犬の表情はどうだ。バックの無惨な光景をどう見たのだろう。吽形だけに感情を封じ込めたようで余計痛ましい。

モノレール彩都線沿いに北上し、友紘会総合病院を回り込むと途端に景色は一変。この清水の森は西に関西電力の教育施設があるのだが、それを感じさせない。鎮守の森だ。

真新しい鳥居は春日神社。元・須久久神社と扁額にあった。林立する石碑のうち新しいのは元代議士や元知事の揮毫になるものが多く、崇敬篤かったことを思わせる。

8月28日というからついこの間だ。無惨にも全焼した春日神社拝殿と本殿。階段を上がり終えて吃驚した。 攝津名所圖會に曰く 須久久神社二座(すくくのじんじゃにざ) 鍬靱。〔延喜式〕に出ず。宿久の庄にあり。」
ㅤもう一座はやや東の山際にあり、先日訪れた(→ここ)。

春日神社を出ると目の前のモノレール線路のすぐ向こうに木立ちが見える。第一感 “あれはお社である”。そのとおりであった。でも平安時代に朝廷の奉幣を受けるお社がこんなに近くにあるとは。しかももう一つの須久久神社も同じ宿久庄(数百mしか離れていない)にあるのだ。

ひっそりとした境内。鳥居右脇にあった由来碑には「新屋坐天照御魂神社三座/当神社は延喜式神明(名の誤記か)帳にその名が載せられている古い神社です」 云々。

江戸時代に建てられた社号標石がここにもある。「新屋坐天照御魂社一座」。「云」の偏が「鬼」の上に乗っている。

同社本殿覆屋

新屋坐天照御魂神社拝殿。端正なたたずまい。 攝津名所圖會に曰く 新屋坐天照御魂神社三座(にひやにいますあまてらすみたまのかみののやしろさんざ) 西川原村にあり。〔延喜式〕神名帳に曰く、名神大。月次、新嘗。就中天照御魂神一座。預相嘗祭云云。〔三代実録〕に曰く、貞観元年正月授従四位下。同五月新屋座天照神酒着神並授正五位上云云。天照御魂神一座は西川原村にあり。近隣七箇村の生土神とす。一座は福井村にあり。今天王と称す。〔上梁文〕に曰く、天正十二年八月領主中川瀬平清秀三座を造営す。一座は上川原村にあり。称して天照太神といふ。清水村も亦祭祀を共にす。
 もう一座は市内福井の在所にあり、これも先日訪れた(→ここ)。

今日の総歩数 11,764歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら