新・トルコ11日間 ツアー(3) 
 2009年9・10月 


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<<付録◆ シンガポール(往路)◆ シンガポール(帰途)>>

 カッパドキア   10月2日〜3日ㅤ
 Cappadociaㅤ

世界遺産:ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群
カッパドキアはポイントの地名ではなく、地域名なのだ、と知ったのは現地入りしてからだ



10月2日 スルタンハンのキャラバンサライ(隊商宿)。堂々たる構えだ。現代のビジネスホテルだと説明があったが、ラクダも一緒に泊まれたというからさしずめ駐車場付きということか




カッパドキアの奇観をつくったのはこの二つの火山(左:ハサン3,268m、右:エルジェス3,916m)だという。大量の質の異なる火山灰が幾重にも降り積もって長い年月の間に岩となり、それがまた徐々に侵食されて硬度差であのきのこ状の奇観ができたのだ




ウチヒサール城砦跡。この巨岩はこの近辺のランドマーク。どこからでも目に付く




天辺へは登れる、らしい




トルコ絨毯製造所ではじめてトルココーヒーなるものを飲む。見た目は普通なのだが結構ドロドロで、澄んだ頃を見計らって飲んでも口中にザラザラ感が残るが、一種独特の風味あり
最終4分の1ほど底に残った(右)




洞窟レストランで昼食。けっこう涼しく一枚余分に羽織る




お前は蛸坊主か




よく見ると近所の家の倉庫として使われているらしいところもある







カイマクル(!)地下都市入口。地下7階、深さ75mという。われわれがもぐったのはB4までだったか?
まず井戸をつくってからと言う掘鑿の方法を聞いて、明治期の琵琶湖疏水工事に思いを馳せた




同上内部にて。ここはまだましだが、天井が低く、膝を突いて首を曲げてそろりそろりと進まねばならない場所もあった。腰痛持ちがようやった、とあとで自分に感心することしきり




 あちこちに“きのこ岩”の子どもが出来かけている。これも何十年・何百年後には跡継ぎになってゆくのだろう




トリオ合体




ダチョウの首(乃公が命名した)




きのこ帽子そのものだ




ラクダ岩




夕食後、とある洞窟レストランでベリーダンスとトルコ民族舞踊ショーを観る。トリのベリーダンスはともかくとしてこの衣装で踊られた写真撮影禁止の回転ダンスは、その動きの激しさにかかわらず神秘的であった



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10月3日 明けてカッパドキア二日目。この日はギョレメの野外博物館がメインで、岩壁の洞窟教会跡へ登ったり降りたり、結構運動量の多い観光でありました




有名な“三姉妹”の岩





どないなっとんねん。。。いやいや、ここでもシッカリ洞窟が掘られているのが見える(だろうか?)







岩窟教会跡にはいろいろ名前がついているが壁画がごちゃごちゃなので教会名を特記しなかった。
 鮮やかな色彩の残っているものが意外に多い





チャオシンの岩窟教会




小さな穴は鳩の入口。その糞をブドウ畑の肥料にしたのだという







チャオシンの玉ねぎ頭岩。まさかこんなところでぶどう狩りをしようとは・・・




玉ねぎ頭岩は現地ガイド・ノリさんご推奨の“黒柳徹子”岩であります。お分りかな?




カッパドキアに咲く花々。家々に植えられたものは園芸種とおぼしきものが多かったが、これらの小さい花は荒野に健気にその存在を誇示している




二日にわたるカッパドキアを後にし、アンカラへの道中。陶器の町・アヴァノスを流れる川。久しぶりに“水の流れている川”と水鳥たちを見て訳もなく感動




アヴァノスのある陶器工房にて




塩の湖・トゥズ湖。米・ソルトレイクに次ぐ塩の湖で、大きさは琵琶湖の2倍あるという。歩いても歩いても水際に辿り付けなかった。見渡す限り塩また塩。砂浜ならぬ“塩浜”




心ある人は旅先に想い出を残し、BSはキャンプ地に感謝を残すというが、乃公は塩浜に足痕を残した