東六甲縦走  昭和62(1987)年4月29日ㅤ

2月に金剛山から紀見峠を縦走したが、そのときからの念願であつた東六甲縦走、いよいよその日が来た。例によってラーメン1個、水1L、ガスコンロ、トマトジュース1缶、それに聡用につくってあったおにぎりの内1個を持って出発。
 S木君の主唱で去年H池、O塚との三氏が踏破しており、「どうってことはないが、何しろ距離がネェ」ということであった。20kmは優に超えるコースであり、膝さえ気をつければ持久力では大丈夫と見極めをつけての出発である。ものの本によれば、宝塚から登って最高峰から有馬または岡本下山がほとんどであったが、これもまた、H池氏が「先に高い所へ登って、タラタラ降りて行く方が楽と思う」とアドバイスしてくれたのに従ってのことである。

9時阪急芦屋川着。快晴である。駅北側公園で身繕いしてから出発する。

駅前の案内板。4つ書かれているコースのうち『芦屋ロックガーデン、東六甲縦走コース 22km 健脚向 7時間』をとる。(2011年注記)

しばらく広壮な住宅街をゆく。だんだんアスファルト道が登りにかかるころ[右荒地山]云々の指示板。5月10日予定の千里バッハハイクはこの右コースを予定しているのだ。
 渓流沿いの道が続く。目一杯の青葉、若葉である。やがて小さな橋があり、たもとの茶屋の店先を抜けると高座の滝、大谷茶屋である。一息入れておでんなど食べている人もいる。滝はかつて二筋に落ちていたというが、水量の少ない今は想像するしかない。「すみません、シャッター押していただけますか」(今行程でこれを連発した)を済まして9:30出発。

なにしろゴールデンウィークの初日で快晴、おまけに有名コースとくるから、混雑もはげしい。ちょっと休むとすぐ10人余りの人に追い抜かれてしまう。急き立てられるような思いですすむ。
 中央尾根を登ってゆくのであるが、やはりキツい。花崗岩の風化したザラザラの道は滑り易く、油断すると転落の憂き目に会う。岩場に手をかけ、慎重に高度を稼ぐ。

すぐ左向うの尾根の岩場を登っている人が2〜3人。地図によると[A懸垂崖]である。このあたりだけにこのような岩場が集中しているのが何とも奇妙ではある。また右手には鷹尾山から荒地山への急峻な尾根がこちらより高く連なっており、一部は先般の山火事でまっくろけになっている。あの傾斜をバッハのご婦人連中や子供連れが登れるのだろうか、また山火事のあとは大丈夫だろうか・・・心配になる。

だんだん息が切れてくる。そうでなくとも今日は気温が高い。少し登ってはハァハァ。その度ごとに微かに頬をなでる微風が心地よい。何度かのハァハァののちにようやく平坦なところへ出る。一瞬風吹岩かと思ったがまだまだ。ジュース類の売店である。ウーロン茶を1缶求める。150円。ここではそれだけの値打はあるのである。

ここからややあって漸く風吹岩に着く。9:50。

小休止するところだが、行程の先行きを考えて写真を撮っただけですぐ出発する。

道は平坦になる。鴬がよく鳴いている。コメツツジがいままっ盛りである。横池、打越山方面への分岐を見送ると、やがて湿地帯のところで荒地山からの道を合する。12日はここへ出てきて風吹岩経由で下山するのである。

ゴルフ場にさしかかる。芦屋カントリークラブである。話によるとゴルフ場の中を抜けるとのことだったので金網か何かと思っていたら、何と自然の植生の中を歩くのである。流石に六甲だと妙なところで感心した。ゴルフ場の中を抜けている感じはしない。途中に猪よけのトタン板の柵とハイカー用のドアがついている。

咽喉が渇いてくるが、ポリタンはリュックの中程に押し込まれていて容易に出ない。ゴルフ場が尽きるところにゴルフ場がつくったらしい水飲み場がある。水がうまい。顔を洗って一息つく。

ここから尾根筋に上がって左に住吉谷、右にゴルフ場を見下ろしながらしばらく行くと雨が峠である。目の前にこんもりと東お多福山スロープが盛り上がっている。ここにもジュースの売店(担いできただけの)が1軒出て、大勢休憩している。
 左へ向かうと本庄橋で、これがメインルートのようだが、本庄橋から最高峰ルートは2度登っており、今回は初めての東お多福山を経由することにする。

大学生らしい男5人、女3人のグループがワァワァ言いながら登ってゆくのと相前後しながら、緩いアップダウンの連続するスロープを遥か向うのピーク目指して登ってゆく。緩いのだがもうだいぶん疲れており、大丈夫かいナという懸念が掠める。

ようよう東お多福山のピーク到着。11:00。標高697m。眼前に芦屋奥池、ゴルフ場。振り向けば西お多福山、最高峰などが一望のもと。とにかく木一本無いのでその眺望は最高である。ただここでのんびりしているわけにはゆかないのである。行程の未だ半ばにも至っていない。またスタートだ。

蛇谷北山を目前に左手の[土樋割峠へ]の道を下ってゆく。ここで愕然とした。ドンドン下ってしまうのである。こんな筈ではなかった、僅か下るだけだと思っていたのに。これじゃ697m稼いだのが無駄になる。

しかしすべもない。遂に峠まで降りてしまう。630m。ここは左へすぐ本庄橋、右は林道を経て芦屋奥池へと通ずるところである。
 鴬の鳴くのがややうつろにひびく中、意を決して登り始める。目指すは蛇谷北山、そして石宝殿。そこまで行くと最高峰並みを征服したことになる。ところがどっこい、そう簡単なものではなかった。最高峰並みということは登りも七曲がり同様の険路だということであった。胸突きの急坂がいつまでも続く。途中小学生のグループに追いこされる。
 とうとう辛抱たまりかねてリュックからトマトジュースを出して飲む。ここでポリタンを出し易い上に入れ換えてリパック、少し人心地を取り戻して登り続行。

ふと気がつくと[蛇谷北山 芦屋最高峰 836m]の標識が立っている広場が道の左手にみえる。さして眺望も利かないようなので、写真を撮っただけで通過する。

しばらく行くと道はまた下り始める。右手から芦有ドライブウエイの自動車の騒音が聞こえてくる。しきりにポリタンから水を補給し過ぎたからか、疲労が急に出て、とうとう腰を下ろしてしまう。もう12時なのに不思議と空腹感がない。レモンを持ってきたらよかったかと思う。ここからどうしようか、目前に高く見えるところが多分石宝殿だろうが、あそこまでで精根尽き果てるだろう、今既にガタガタだから。涼風に身を委せながらしばらく木陰でボーッとしてしまう。

2組ほど目の前を行き過ぎる。とにかく石宝殿まで行かないことには車に助けて貰うことも出来ない。必死の思いで歩き出す。
 案ずるより産むが易し。見たほどの登りではなく、数分で石宝殿の変わった形(サの字)の鳥居のある境内にとびだす。1組の家族が昼食中。何の変哲もないところなので本殿の方に回る。ところが何とボッサイもので、イメージを壊される。六甲の山神を祀るというのでもう少し立派なものかと思っていた。

1人のオッサンと2人のヤングがしゃべっている。どうやらオッサンは六甲のベテラン、ヤングは新米だが今難しい谷を攻めて来たらしく、しきりにオッサンがようそんな難しいコースを登ってきたと感嘆していた。
 フト見ると遥か彼方に甲山が見えるではないか。写真を1枚撮り、さして空腹感はないものの、昼食にする。とてもラーメンなどつくる心持ちではないので、ただ1個のおにぎりを、これもあまり食べたくないが無理やり水で流し込む。
 めしの済んだオッサンが、つい今細道を降りていった人を指して「どこへ行ったんやろ」「奥池方面と違いますか」「いや、道が違うけどナ。ところでお宅はどこへ行かはります」「どうしようか迷ってますねン。だいぶんグロッキーやし」「ほな、僕と一緒や」「ご謙遜を」「いやいや」。そこでオッサンはいずこかへスタート。

しばらくすると先刻の人が上がって来て「おかしいナ」「どうしました」「谷に降りてしまう」「何処へ行かはるんですか」「縦走路を宝塚まで」「ああ、それじゃ道が違います」ということで正しい道を教える。件の人は首をひねりひねり教えた道へ出ていった。あまり信用されていないみたい。
 フト気がつくとおにぎり1個を腹に納めたせいか、気分がグンと良くなっている。腹が減っては何とやらで見事なものである。13:00、いよいよ東六甲縦走路へスタート。
 東六甲ドライブウエイに出ると鳥居茶屋だが、戸が締められ人の気がない。飲物を補充しておこうと思ったが、これで塩尾寺まで望みがなくなった。北を見ると船坂谷から裏六甲が一望のもとである。

300mほど車を掻き分けて進むと縦走路の山道の標識がある。さあ、10kmにわたる縦走の開始だ。

松の混じる雑木林の中を走る道。展望はこういう道の常で必ずしも良くない。804mの水無山を越え、約50分で船坂峠。由緒ある峠だというが、標識もなく、僅かに[東六甲縦走路]の標識にビニールテープで[フナサカ]と貼り付けてあるのみ。寂しいものである。

全般的に下りだとはいいながら少しずつアップダウンがあり、疲れた身にはアップが応える。あちこちで小休止を繰り返しながら道を辿る。地図上の標準時間より早めに歩いているのだが、ポイントでは大体同じくらいに落ち着いている。
 大平山(682m)の頂上には船坂無線中継所の大きな建物がある。縦走路は途中で中継所用の道路に合し、500mくらい進んでまた右にそれて山道に入る。道は次第に下りとなり、突如眼前がパッと開ける。譲葉台の住宅を左下にそして仁川方面を望む眺望絶佳のポイントである。ここで腰をおろして暫く休止する。
 3人連れがやって来てこれもストップする。シャッターを押してやる。風が何とも心地よい。水を飲んで、もうあといくらもないんだと心に言い聞かせる。
 お先にと出発。少し進んだところでロープを張った急斜面。逆コースだったら大変なところである。下り切ったところが大谷乗越。仁川、鷲林寺から船坂に抜ける車道。障害児のグループが傍らで小憩している。ここも失礼してすぐ向いの山道に取り付く。
 急斜面を下っただけまた登り返すかと戦戦恐恐としていたが、案外そうでなくて、528mの譲葉山に登ったあとは489mの岩倉山へと段々高度を下げていく。足は相当疲れているのだが、こういう道は極端なズル道にならない限り長距離でも応えない。
 

岩倉山から北へ向くと、間もなく砂山権現。簡素な石造りの神社だが、“権現"って何だろうと、また考えてしまう。ここでも写真を撮っただけで通過。間もなくズル斜面になる。どんどん高度を下げて行くうちに塩尾寺の屋根が見えてくる。

塩尾寺で水か何か飲物をと考えていたが、水の補給場らしきものはなく、自動販売機のみ。あほらしくなって、ポリタンの水を飲み、残りを棄てる。
 寺用の車道を下り始めるが、宝塚まで2km、標高360mを下らなければならないことに内心がっくり。アスファルトの爪先下りの車道を歩くのは、20km歩いた足には滅法応える。この道の長いこと。甲子園大学までしっかりあって、ここから紅葉ヶ丘の住宅街を抜け、温泉旅館街までまた同じくらいある。水明館前の酒屋の自動販売機で缶ビールに飛びついたのはある程度やむを得ぬものとして許して貰えるだろう。
 宝塚駅16:30着。また記録の1ページを書き加えることとなった。お疲れさん。

【追記】
 あとがいけないのである。実はこの日千里バッハの練習が18:30より千里公民館で予定されていたので、それに参加すべくリュックに楽譜を入れ、穿き換え用のスニーカーまで入れて歩いていたのである。豊中からバスで千里中央に出るつもりでいた。
 缶ビールのお蔭でいい気持ですやすや眠っていて、「トヨナカ、トヨナカ」の声で急いで下りたのはいい。ホームで階段の方を見定めたとたん目の前がスーッとくらくなった。翌日近藤部長の意見だと、アルコールで血管が拡張し、急に立ち上がったため起立性貧血になつたのだろうと。
 気がついたら回りで中学生が見ている。自分はホームに突っ伏している。慌てて立ち上がったが猛烈にフラフラする。とにかくベンチに坐る。唇の右はしが痛いので持っていたブルゾンで押えると、まっかな血ではないか。しまったとポケットの汗拭きを出そうとしたら今度は左手の小指が第2関節で外れ、脱臼している。瞬間的に右手で握って元に戻した。
 結局バッハには行かず直帰し、シャワーとめしですぐ寝た。
 教訓の多い一日であった。