金剛山から紀見峠  昭和62(1987)年2月21日ㅤ

先だってH池さんがO野君と行った話を聞いてから、行きたい思いをつのらせていた。《大阪周辺の山200》では逆コース(紀見峠から金剛山)であったが、H池さんの話によれば“逆はだんだん上がっていくのだからしんどい。一気に金剛山を上がって、タラタラと降りて行くほうがいい”ということで、そうすることに決める。

7:09の電車で出、阿倍野橋8:07の河内長野行急行に丁度間に合う。これがまた古市までノンストップときて、富田林に8:39着。9:15のバスまで半時間以上の待ちになる。もっともこのおかげで坐れた。間際に到着した連中(いずれも山行きばかり)で一杯になり、一部積み残しが出る(臨時が出た模様)。相変らず座席の取り合いでうんざりする。

快晴。南河内ののんびりした風光の中をバスは走ってゆく。千早は金剛山と西の720m峰の間にひっそりと息づく集落で、バス停は集落を見下ろす金剛山側の山腹にある。以前はどうだったのだろうと考える。39年に来たときは千早神社経由で登ってしんどかった記憶があるが、今の案内書にも「前者(神社経由)は数百段もの石段を登るため敬遠され、今は後者(フロノ谷)を選ぶものがほとんど」とある。これからすると多分変わっていないのだろうと思う。

35分かかってバスは9:50登山口に到着。カメラを出し、身繕いをして9:55出発。バス停から50mほど左へ歩いてから登山道に入る。驚いたことにもう下山して来る人がいる。それも5人や10人ではない。中には走って降りて来る人もいる。ほとんどの人は軽装で、荷物を持っていない人さえいる。案内書に「このコースは“毎日登山者”達のいわばメインルート。息せききって登り降りするすさまじさには驚かされる」とある文章そのままである。

すぐしいたけ園の分岐。水場がある。ここから途中の千早神社からの道を合するところまではコンクリ道。フロノ“谷"というだけあって、湿っているため固めたのだろうが、やや味気無い。山水が凍り着いているところもある。
 首塚の手前、つまり千早神社からの道を合するところから道は尾根道になる。

金剛山は(六甲もそうか)独得の岩の風化したザラメ道である。ところどころ日陰に5cmばかりの霜柱が立って残っており、その辺りは遠目には白い土のように見える。雪は全くない。
 ただ一直線に登って行く。このルートの特徴は、ジグザグでないことである。そこそこの傾斜の尾根道がまっすぐ続いているため、こういうルートになったのだろう。一本木茶屋では10人くらい休んでオデンなどを食べている。これを横目に見ながら登り続ける。
 相変らず少し登ってはハァハァの繰り返しである。生まれつき心臓がそうタフでないことは自覚している(中学校の時のマラソン、高校の時の1500mなど)。これが自分のペースなので、他の人と行く時はペースを知ってくれている人とでないとしんどいのはこの辺りである。

山頂は視界に入っており、この山独得の巨木(転法輪寺や葛木神社境内の樹齢数百年という杉)が見えている。しかし一向に近くならない。次第に道が荒れてくる。ほとんど凍っている。靴でグショグショに踏まれた土がそのまま凍っているので、これでは温かくなったら溶けてズルズル滑って大変だろうなと思う。所によっては黄・黒のロープが両脇に張ってあり、積雪の時の怖さがわかる。

振り返れば、南河内の市街地、そして岩湧山(!!)がその特異な茶色い頂上を見せている。

道が大きく左、そして右にヘアピンカーブしたところで両側は熊笹とブナの巨木になり、頂上近しを思わせる。と思う間もなく転法輪寺の境内に入る。ときは10:57なり。H池さんの“1時間あったら登れまっせ”を僅かにオーバーする。
 何と、雪と氷である。登山道と風景が一転しているのに驚く。10cmほどの段差があるとそこは氷の斜面になるため、危ないことこの上ない。慎重にソロリソロリと歩く。咽喉が渇いているのでまずはビール。高い。レギュラー缶で340円也。

北の国見城跡に出る。最高の展望である。

PLのあの塔がそびえる羽曳野丘陵を中心に南大阪が一望のもとである。ただ、足もとはぐしょぐしょで立ち止まる人は誰もいない。

転法輪寺境内は真ッ白である。枝垂れ桜の巨木も寒く縮こまっている。

11:10いよいよ縦走に出発。葛木神社へのコンクリ坂は一部凍っている。ルンルンと降りて来たオジサンが見事に尻餅をつく。途中に夫婦杉を見つけ、23年前をおもいだす。こちらが様変りしたようにこのあたりも変わったのだろうか。23年の歴史は我々の夫婦の歴史でもあるのだが・・・・。
 新装の大社造りの葛木神社に詣ったあと下の道を見ると、ここも写真をとったなと記憶が蘇る。

しばらく行くと一の鳥居である。ここも同じ。あのときはこの辺りから左へ折れて御所の方に降りたのである。ここから未踏の地に足を入れるわけである。

しばらくすると右に展望台。やや薄雲が広がっているがまず申し分のない天気である。展望台から南葛城山、カヤトに覆われた岩湧山を中心に写真をとる。周囲は芝生が植えられ、家族連れが1組遊んでいた。ケーブル駅からも近く、小さい子供連れでも楽しめるところ。

11:40出発。右に国民宿舎「香楠荘」を見ながら道はやがて伏見峠を経、正午に無名峰(1022m)を過ぎ、12:14久留野くりの峠着。

12:14久留野くりの峠着。ここは千早から奈良県久留野町を経て国鉄和歌山線北宇智駅へと通ずる峠で、金剛バスの終点から歩いても知れている。ここで一休み。例によってセルフで写真をとる(今回はミニ三脚を持参)。
 ここからの登りが急でアゴが出る。土嚢を積み、杭を打って止めてあるのだが、この傾斜がひどいもので、一登りに5〜6回休むような状態。フウフウいってやっと登りつめたところが中葛城山。横になってぜいたくな午睡をむさぼっている男が一人。時は12:28。

見事!!南面が伐採されて吉野川(紀ノ川)、五条市街が眼の下。真下の北山町(集落の北にそびえる山だから北山で、その山の麓にあるから近年北山町になったものと思われる)までストンと落ちているため、もし転がったら直接五条市街まで行っていまうのではないかと、そんな南斜面である。標高938m。いろんな案内書には全然このすばらしい眺望についての記載がなく、伐採されたのは最近のことであろうと推察する。

ここで昼めしの準備にかかる。1Lのボトルから700MLほどをまず沸かしにかかる。少し風があるがさして支障はない。ただ少し木の切り株が傾いているので、水平にしようとして動かしたら不幸なことにゆっくり傾いて、見事にひっくりかえり、貴重な700MLの水は中葛城山の土に吸い込まれてしまった。

「しまった」と思ったときはもう遅い。昼寝をしていた男を見たがそのポリタンには殆ど水はなさそう。もう一人あとから来たおっさんは魔法瓶から飲んでいるところを見ると、お茶に違いない。貰い水も出来ない。やむなく残った300MLを沸かし、レトルトの五目飯を突っ込む。8分目の出来で食べる。だんだんこの匂いが鼻についてくる。でも食べる。残った色・匂いのついた湯を再度沸かしミニカップラーメンに入れる。ところが湯は麺の中に姿を消してしまい、とても量が足りない。しかしどうしようもない。フォークでかきまわし、少しほとびたところで食べる。半分ガリガリである。こんなカップラーメンは初めてだ。残念ながらコーヒーは遂に断念せざるを得ない。毎回昼飯は失敗の連続。次回からもう少し考える必要がある。

昼寝していた男、そこそこの年の男と思っていたのに意外に20歳台後半とみたヤングであったが、「いま登ってきた道から東にピラミッドのような山が見えたが、あれは高見山でしょうな」と気安く話しかけてくる。聞くと東住吉区の住人で、国鉄和歌山線北宇智駅に車を置いてクソマル谷(!!)の道なき道を遡行してきたという。相当の歩き手とみた。しばししゃべったあと、男(以下A君とする)は先発。

フト気がつくと少し曇って寒くなってきている。早々に後片付けをして1:10出発。いよいよ紀泉国境縦走の本番である。しばらく熊笹の茂る見晴らしのよい尾根道が続くが、そのうちに樹林帯に入る。
 高谷山(937m)を1:23、千早峠を1:40に通過。先ほど追い抜いていった紺ジャージーの人が小憩している。挨拶をして追い抜く。もっともすぐ追い抜かれたが。神福山(792m)でA君に追い付く。「早いですね」と彼。「正面にみえるのが大峰でっしゃろか」と早速話しかけてくる。見ると五条市背後の連山の更に向うに雪を頂いて一際高くそびえる峰が二つ。まさしく右が大峰、左が大台であろう。しばし見惚れ、写真を撮る。またカメラがおかしくなり、以後メカニカル・シャッター(125分の1)だけで撮る。ここからどちらから言いだすともなくA君と同行となる。

まもなく時ならぬ車の音が聞こえる。A君「ああ、国道トンネルですよ」。つまり河内長野、観心寺から五条へ抜けるR310である。2:05。場所的には谷尻峠、トンネルは金剛トンネルであるが、ピンと来ない。あまり峠らしくないのである。木がうっそうと茂っているせいもある。
 2:15行者杉峠に着く。少し広場になっており、5本の大きな杉に囲まれて役ノ行者を祀る祠が一つ。そのそばに休憩小屋がある。「薄暗いナ」と言いつつ写真をとる。ここは大阪・奈良・和歌山の3府県境でもある。ゴミで汚い。
 小憩ののち出発する。途中で重装備の夫婦連れと行き交う。「1泊でドンヅルボーまでダイヤモンドトレイルを踏破するつもりやろか」そんな軽口を叩きたくなるほどのこしらえであった。

2:35杉尾峠。ここで3人連れを追い越す。もっともA君によれば「あれは杉尾峠を上がったばかりで、どうやら東行きらしいでっせ」。
 樹林帯の中の道が続く。2:50タンボ山を通過し、3:05西の行者に着く。ここは創元社のハイキングガイドによれば、柱本を経由して下山するコースへの分岐点である。「どうしようか」と相談の結果、やはり紀見峠まで行こうということになる。

690m地点の電発反射板を右に見ながら、道はやがて南へ曲がる。ここで少し息を入れ、雑談する。丸太階段が延々と続く。このあたりから膝が少し意識にのぼってくる。ドンドンと降りると応える。出来るだけ一方の足で同じ役目をさせないように、気をつかいながら降りる。とにかく長い階段。逆コースをとらないでよかった。
 降り切ったところで紀見峠集落の取水小屋がある。3:45。のどが渇いていたこととてガブガブと飲む。さしてうまいとは思わなかったが、何しろのどが渇いていたのだ。若干のお茶はどうしても必要。
 山の神から岩トジキ谷経由で紀見峠を目指す。このあたりではもっぱらA君にガイドをまかせていたため、道がはっきりしない。だんだん谷道になってくるし、方向は曖昧になる。単独行と違って緊張感に欠けるせいと思われる。

やがて旧国道(R371)の大阪側に出る。このあたりで数年前他殺死体が埋められるという事件があつたという話を聞く。新紀見峠トンネルが開通したため、ひっそり閑としている。

やがて大阪・和歌山府県境の標識を過ぎ、右に岩湧山への縦走の指示標が見え、すぐ向うに左手峠集落へ上がる道がある。石碑があり、「岡潔生誕の地」とあり、驚く。ここは足も疲れたこととて国道を行くこととする。向うからスピーカーの演歌がガンガン聞こえてくる。何かの販売の車のようである。“都会"では「乙女の祈り」や「エリーゼのために」なのにド演歌とはとしばし笑い合う。鉄橋を過ぎ、道が左へヘヤピンカーブする手前で右の竹林の道を降りる。
 とうとう雨が落ちてくる。A君に傘を貸し、自分はビニールのレインウェアを着る。フト前方を見ると、岩湧山方面は白く煙っている。みぞれだろうか。昨年のことをまた思い出す。
 沓掛の集落から右折する。ここがわかりにくいのだという。「エキ」という簡単な、見落としそうな、ホントに小さな表示があるだけだ。ちよっと登って竹薮を抜け、紀見山荘のそばを通り、橋を渡って紀見峠駅に到着。時に4:44。6時間50分かかった勘定になる。昼食時間と休憩を差し引いて約6時間か。
 橋本経由北宇智へ向かうA君を見送り、4:49の急行で帰途につく。少し膝と足が痛いが、無事18.8kmを踏破できたという満足感で一杯。