ㅤ高見山  昭和62(1987)年2月7日ㅤ

 

59年から毎年2月第1土曜を卜して実施している高見山樹氷ハイク。60年は行けなかったが、59年のドカ雪の樹氷に魅せられてO野、H池両氏のガイドで3回目になる。
 今年は近藤夫人と大阪工場のS下さんを加えたが、O野さんの母堂他界による不参加、S木さんのアクシデント(ワープロを足指に落として爪が死ぬ)などガタガタあって、結局7名となった。
 8:10近鉄上本町集合。8:25の宇治山田行に乗車。小1時間で榛原に着く。電車から出ると寒い。ホーム付近は寄せられた雪で真白である。この分では高見山では立派な樹氷がみられるぞと張り切ってタクシー2台に分乗して出発する。昨年バスで2回乗り継ぎ、佐倉峠で時間待ち、鷲家口(わしかぐち)で新子(あたらし)からのバスにおいてけぼりを食ったのに懲りた結果の所産なのである。
 ところが榛原から山の中に入るにつれて段々雪が少なくなる。悪い予感がする。タクシーの運ちゃん曰く「榛原はむしろ山の中より寒いんですよ。だいたい榛原が山の中やさかいにね」と。理屈はわかるが、もっと山深いところの方が寒い筈と思うのが人情。
 佐倉峠、鷲家バイパスのトンネルを経て木津(こつ)トンネルを抜けると、突如かなたの相当高い位置にある高見山の峻峰が視野に飛び込んでくる。“一体あんな急なトンガリへ登れるのだろうか”。毎回同じ危惧が胸を刺す。約30分で高見山登山口到着。
 10:00登りを開始する。バス停付近に掻き寄せた雪があるが、黒ずんでいて降雪から日時の経過していることを思わせる。案の定雪は少ない。登山路の脇に申し訳程度にあるだけで、道にはまずない。あまつさえジュクジュクである。

ブツブツ言いながら小峠を目指す。アイゼンを着けるような道ではないのだ。初めての近藤夫人に申し訳ないような気分である(決して俺のせいではないのだが)。暑い。セーターなぞ持ってこなくってよかった。長袖アンダー、毛薄ベスト、シャツ、ベスト、薄ジャンパーで汗をかいている。時間が早いせいか、先行者は少ない模様。やはりタクシーの威力である。ずっと近藤さんが張り切ってダントツのトップをとっている。次いで女性3人、乃公、S木、H池の順。

小峠に到着。昨年も59年も遅くなってここで昼食になったのだが、タクシーのおかげで11:00。あと1時間で頂上、ちょうどいいじゃないかということで、すぐ一の鳥居をくぐる。とっかかりのコンクリの上の雪が溶けかかっているので、ここでもアイゼンなしで登りにかかった。

ところがである。ここから平野分れまでが名だたる急斜面。杉林のなかは案外風がわたると見え、少し残っている雪が凍っている。ちょっとビビり、早速アイゼン装着とは相成る。ここでトップをとり、平野分れまでゆく。はやばやと下山してきた人に「樹氷はどうですか」と問うと「全くありませんョ」の返事が返ってきてガックリする。(連中は平野へ下山した模様)

近藤夫妻とあと4人の到着をまって、またトップで登りにかかる。登れども登れども樹氷のかけらすらない。国見岩、ロボット雨量計小屋にかかるが、この辺は昨年きれいな樹氷が見られたのに、あるものは木の股や繁った葉に残る雪だけ。しきりに近藤夫人に“本当はこんなもんじゃないんですよ”と意味のない弁解をする。ちなみに二番手は近藤夫妻で、傾斜がゆるくなると近藤さんがサッサと出てくるが、傾斜がきつくなるといつの間にかその姿は見えなくなり、夫人が視野に入ってくる。それでちょっと待って前述の説明とも言い訳ともつかぬことをおっ始める仕儀とは相成るわけである。
 もっとも雪は一部を除いてしっかりしており、小峠までとは様相を異にしている。しかし昨年までと違うのは、ジュクジュクになっているところがたまにあることである。これではとても樹氷が出来っこない。

登りはじめてから1時間45分ほど経ち、傾斜がやや緩くなって頂上近しを思わせるようになって、はじめて樹氷がその姿を現した。この辺の木は殆ど落葉樹なので、今は裸である。立木は殆ど右(南)の方向に風で曲がっている。その立木の北風を受ける側(向かって左)に飛んできた雪が針状というか、櫛状になって幹に付着している。あたりには木から外れたその雪が原型を止めて散乱している。バックは室生火山群の山、そして青空が広がっている。
 いつの間にかH池さんが追いついてきて、二人して競争でシャッターを切る。近藤夫人はなかなか写真に入ってくれない。このあたりの雪の状態は昨年とあまり変わらない。しかし南面しているところは全く樹氷がなく、北面でも程度はぐんと小粒な感は否めない。

やっと頂上に着く。避難小屋は先行グループが炊事の最中。中は真黒で相変らずきたないが、臭くないのは不思議である。一番奥を空けて貰ってH池、S木と3人で湯沸かしにかかる。S下、K岡の両名は高見神社の祠の裏で“ここあったかいョ”とて雪の上に坐って早速弁当をひろげている。近藤夫妻は“あんなとこ寒うて坐っておれますか”とばかり小屋の蔭で二人仲良く食事を始めている。
 湯沸かし番はラーメン、コーヒー、ホットウイスキーに給湯してまわる。準備してS下、K岡のそばに行くが、頂上を吹き越す風をモロに受け、とてもジッと坐って食べて居れない。結局近藤夫妻の傍で食べることにする。

ここまで来ると雪が少ないとはあまり思えないのが不思議。50cmがところはしっかりと積もっている。頂上の寒さはいつでもあまり変わらないということだろうか。360°の眺望は昨年並みを 100とすれば 90位。大峰方向の霞み加減が昨年より少しキツいようだ。
 例の通り「霊峰 高見山」の碑、つまり高見神社の前で記念写真を撮って 1:30出発。

今年は初めて大峠への急斜面を降りることとする。

ここは25,000(地形図)でもジグザグのすごい道である。

いざ降りにかかってその凄さが改めて身に泌みることとなった。何しろ遊びがほとんどない。とにかく降りるだけである。一歩毎に確実に高度が下がる。昨年登りにこちらを使おうといっていたことを思い出しゾッとする。
 少し下ると雪と泥が交錯してくる。頂上で誰かが雪の中に突き刺していた桜の杖を無断借用して来たが、やはり足もとの危ないときは杖が役立つ。数回滑りそうになるが、左手で掴んだ潅木の枝とこの杖が役立って尻餅をつくことがなかった。
 しばらくすると傾斜が緩くなる。ちょうど大峠までの中間くらいだが、こういうところがあまり寒くないと見えて、道はジュクジュクならぬどろどろで、ところどころ雪解け水が流れている有様。もうどうしようもない。道を歩かず、そばの草の上を歩く。葛城山の下りほどではないが、靴やズボンの裾の汚れなど気になどしておれない。

ここから下はまた同じように急斜面の連続で大峠に至る。道路がすぐ目の下に見え、木の階段を降り、鳥居をくぐって峠道に飛び出したときはホッとした。“滑らずに降りることが出来ました。有難う!!”という気分そのものであった。
 トイレもあり、ここでしばらく休憩する。この峠は奈良県と三重県の県境であり、木津(こつ)川=吉野川の源流の一=と、櫛田川=松阪へ流れる=の分水嶺でもある。立札があって、3月末まで通行禁止となっている。もっとも三重県側から奈良県の方へ向かって見えるように立てられており、三重県側からは登って来れるのだろうか。高見山へ登っている人のだろう、乗用車が2台トイレの前に駐車していた。

ここから頂上はかすかに見える。中間の緩斜面以外は本当に切り立った急斜面で豪壮、豪快としか言いようがない。
 車道を小峠に向かって歩き出す。道は雪一面といいたいが、一部陽のあたったところは溶けて、アスファルトが剥き出しになっている。案外遠い。昨年登りかけたところはなかなか来ない。近藤さんと“一体昨年はどこを登ろうとしたんやろか”と言いつつ歩く。
 小峠の少し手前で車道がヘヤピンカーブしているところに、ようやくかの登り口があった。ここから登ったらどうやら平野分れあたりに出そうである。昨年は完全にカン違いしていたわけである。登らなくてよかった。
 小峠はノンストップで通過し、一気に登山口を目指す。だんだん下りもしんどくなってくる。朝より道の状態は悪い。しかし今日は凍って滑るということだけは避けられたので、これでもってよしとせねばなるまい。
 3:30無事高見山登山口到着。早速家に電話。長男が出る。「無事に怪我なく登山口に到着しました」と。山水が蛇口からほとばしり出ている。2〜3杯ガブ飲みする。“明日の東京国際マラソン見ながらこれでコーヒーをたてよう”とS木が1Lポリタンクに入れているのを皆見倣う。またザックが重くなる。
 電話で呼んだタクシーが25分位で到着。4時すぎ出発。木津トンネルの手前で「山よさよなら、ご機嫌よろしう」と歌う。峻険な関西のマッターホルンよ、また来年まで、さらば。「また来るときには、もっと雪をかぶっていておくれ」。
〔しかしこれ以降もう来ることはなかった:2019年追記〕