東町住宅下見1回目

昭和43(1968)年1月 

   

石橋で借家住まい中に幸運にも東町住宅の分譲に当選し、1968年(昭和43年)10月入居予定で工事中の東町を訪れた。寒風吹きすさぶ中、阪急北千里から歩いたときの記録である。我家工事の進捗度合いもさることながら、道すがら撮った風景が時代を感じさせるではないか。
(このページ2015年作成)


北千里駅西交差点から東望。右手前は北千里センタービル(?)でその向こうに北千里駅がある。左正面に真っ直ぐ見える坂道はいま三色彩道として名高いが、この当時 木はまだ育っていないようだ。

同所から北方・青山台中学校。右手前はUR(旧・公団)高層C74棟だが、周囲の様子から察するに工事中らしい。

千里東3丁目交差点から中央公園・展望台方面を望む。右はB棟(府営)、左の古江台住宅はまだチラホラだ。

北町樫ノ木公園=東町の陸橋上から北千里方面を振り返る。C74棟の塔上に黒く見える山は阿武山。

同所から見た豊中八中のグラウンド。ご覧のとおり木々は殆んどこの状態。今の状態から想像できない。向こうはA棟とC棟(右側)。A棟の左・小山に沈んで黒っぽく見えるところに行く。

看板に曰く「住宅金融公庫融資積立分譲住宅/千里東町第2分譲団地建設予定地/248戸/大阪府住宅供給公社」。「東急建設」の看板がある。

Sample

これがA24棟。Y子さん頭上2階部分がそれ。onmouse-up

A23、24棟前の坂道から望む東丘小学校グラウンド。体育館はまだ、ない。向こうは丸坊主状態の千里中央公園。アカシア団地辺りも更地。

小学校周回道路からA24を望む。

書き忘れた。こことは1982年(昭和57年)春おさらばして現住所に移ったのだが、その後2003年15階建てに建て替えられ、今は様変わりしている。