ㅤ箕面から勝尾寺を歩く  昭和36(1961)年10月某日ㅤ

   

【箕面から勝尾寺へ】10月のある日曜日。舗装道路でない勝尾寺道を歩いた。箕面大滝までは紅葉狩りの行楽客が多かったが、滝上以遠はひっそり。


【箕面滝道入口】勝尾寺に行くということはたいそうな山の中というイメージだった。バスは通っていない。ダムもまだない。


【箕面滝の猿】滝の上の道端に野猿の親子連れがいた。




【箕面大滝】-


【政の茶屋跡】何が変わったといってここほど変わったところもなかろう。「かちおじ」の道標。「政の茶屋」と書かれた板。「ラムネ」の旗。そう、まだ「茶屋」の雰囲気は辛うじて残っているか。


【勝尾寺への道1】政の茶屋からしばらく行ったところ。割に新しい道標のようだ。山道への分岐の溝に渡した木橋が腐って落ちていた。





【勝尾寺への道2】じみち(地道)だよ・・・まんなかの自然石の列石は何だろう。この石の左右どちらかが拡幅された名残か。


【勝尾寺山門扁額】古びていたねェ・・・狭い山道に直接面し、すぐ南へ巡礼道への石段があったということはこの山門の前は広々としていなかったということ。(後の写真参照)


【山門より多宝塔】ここから見る限りではあまり今との違いは分からない。境内一巡後塔の後ろの急坂を直登した。


【寺内より山門(旧)】境内から撮った。記念写真中の女性、どうやら二眼レフらしいではないか!現在の山門は手前の女性の位置あたりに移され、山との間はバス道路になっている


【多宝塔を仰ぐ】-


【本堂境内より東南望】規模の大きなお寺だが境内はひっそり。まだ「勝運の寺」云々のコマーシャルもなかった時代。


開成皇子かいじょうおうじ墓1】喘ぎながら後の尾根に登った。宮内庁管轄のお墓標識。


【開成皇子墓2】これがお墓。宝篋印塔ほうきょういんとうである。開成は光仁天皇の皇子で当山開祖と伝えられる。


【尾根道より南望1】この尾根道は今は東海自然歩道の一部。


【尾根道より南望2】この日は遥か大阪市内まで見えた。


【尾根より裏の谷へ】降り道で木の葉越しに空がきれいだった。裏の谷は箕面川上流の支流。ダムもなく、政の茶屋へ出る。


【ポートレート】裏の谷道途中で。


【政の茶屋から滝東尾根へ】政の茶屋へ出てから滝道を帰るのも変哲がないので、すぐ南のハイキング道を登った。


【滝東尾根道1】いま雲隣台展望台といっているあたりか。


【滝東尾根道2】こうしてみるといい道があちこちにあったなア。



【滝東尾根道3】その先の方にある池。才が原池か。後年カブスカウトを連れてここを訪れようとは夢にも思わなかった。

このあと滝安寺上まで行き、滝道に下って帰途につく。(この項2013年作成)