間谷の里は変わりつつある  2024年3月3日

♣ 独 行 “粟生間谷から清水へ歩く” ♣

粟生間谷は勝尾寺川が山から出たのち支尾根との間を東行する付近の「間の谷」の謂いだと自己流に解釈している。川合、山之口の集落以東は溜池をいくつも備えた水田主体の農耕作地だった。しかし今やそれが何やらの目的のために耕作放棄されて様相を変えようとしている。図らずも今日はその地を歩くことになった


「お知らせ」看板


遮蔽壁の上にカメラを出して撮った「区画整理地区」つまり「耕作放棄地区」全貌。遠くMR高架


川合の在の菜の花


同じくキンカン


川合に坐す春日神社の祠


仝社末社八幡社と高岡社。遠く畑集落と早稲田摂陵高校


閑散たり仝社境内全景


新屋坐天照御魂神社々頭の狛犬頭部には角の痕跡が


清水に坐す春日神社々頭。当社は元須久久神社とも呼ばれる


仝社社殿。2010年不審火により焼失し2年後再建

あとは帰るだけ

=千里中央(グランドパス継続)=尼谷→(用事)→大井出橋(勝尾寺川沿い300b弱)→無名橋→(茨木能勢線)→川合に坐す春日神社→新屋坐天照御魂神社→愛水に坐す春日神社→関電学園前BS=小野原=阪急北千里駅/北千里=山田/阪急山田駅=

今日の総歩数 8,390 歩    ̄|△| ̄   ルートマップは省略