ここにも大の木・・・・さんが  2024年1月7日

♣ 独 行 “泉殿宮御旅所の大の木明神” ♣

あれは4年前のこと。山田の一角に伊射奈岐神社所縁の「大神木神社」という小社があることを知り冷やかしがてら訪れたことがある。その後その傍を流れる山田川に架かる橋にその名を冠した橋があることを偶然知った。その名も「だいしんぼく」ではなくて「だいのき」と知り一驚した。という話は置いといて、旧臘吹田市内のMapを何気なく見ていたら「大の木神社(泉殿宮御旅所)」というのがあってこれまた吃驚。調べたらどうやら「だいのき」ではなく「おおのき」らしいことが判明し、伊勢神宮がらみではなくて藤原氏関連ということで別物と判断した。しかし気になる存在であることは間違いなく、意を決して今日行ってみることとした。そういうわけ

お社前を通る路は元神崎川堤防。此処に拝所は二ヵ所あるが、この枯死したにかかわらず大切に保護されている椋の巨木が遠くから見えて、此処の主人公は誰なのか否応なしに教えてくれる。そう説明板の主・泉殿宮御旅所ではなくて(あくまで私見)この椋を祀る「大乃木大明神」が此処の主なのである

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大乃木だいのき大明神鳥居扁額と、泉殿宮御旅所の説明版
ㅤ説明版にはこうある。大の木と吹田殿址/当地は神崎の流れに沿い 平安時代 川に面して宏荘豪華を極めた寝殿造り 藤原實氏公の別荘「吹田殿」のあった処である/神木「大の木」は樹齢七百餘年 周囲目通り二丈七尺 大枝伸長し高さ三丈六尺 幹体半ば朽ちて空洞をなし 昭和九年室戸台風に最後の大枝を折損し現在の姿となった椋の老大樹で 俗謡にも「御所の内 池に陰さす川面の椋」と伝え往時を偲ぶ唯一の天然記念物である/樹麓に大阪府の標石「吹田殿址」がある/吹田殿には 後嵯峨 後深草 宇多など歴代上皇の再三の御幸美遊があり 鵜飼に湯治に 或は詩歌などを賞でられ贅を尽くされた/当時代 縉紳家の邸宅は宸殿造りで 池に面して泉殿 釣殿あり 其の廃頽するに及んで藤氏の祖神春日大神を泉殿と共に本社に合祀し 爾来此の霊域に昔忘るる事なく年々最大な神幸渡御が續けられている/泉殿宮 川面御旅所
ㅤ赤字は明かな誤字のため編者修正。爾余は原文のまゝ

説明板に見える大阪府の標石「吹田殿址」

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建前上の此処の主・泉殿宮御旅所(あくまで私見)

高濱神社社頭鳥居

高濱神社拝殿

泉殿宮参道

泉殿宮社頭鳥居(珍しく神明鳥居)

というわけで、一件落着。岸部まで戻って遅昼をしたためてから帰宅したのだが、よく考えるとあれは「おおのき」だったのか「だいのき」だったのか分からず仕舞い。読み方はともかく山田市場在とは由来が違ったようだが、Web上では見れば見るほどややこしいことらしくて、早い話、千年二千年前のことは歴史の草むらに埋もれ、後世の吾々が適当に都合の良い理屈をつけているだけではないか、と。それにしてもWikipediaでははっきり「だいしんぼく」って書いてあったよ。あれっていったい何?

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