宝塚の見える寺  2023年4月4日

♣ 独 行 “西宮名塩に御坊を訪ねる” ♣

「寺内町・御坊」近畿圏で行けるところはほぼクリアしたと思っていたら、ふとした拍子に見かけたのが「名塩御坊」。福知山線の生瀬の次の駅が西宮名塩だという。ルートを調べたら阪急のバス電車を乗り継いで行けることを発見。名塩の何物かをも十分調べずの出発(名塩雁皮紙で有名で、江戸時代繁栄し“名塩千軒”と称されたとは後で知った)

=市役所前/吹田(阪急・十三経由)=宝塚/宝塚駅(阪急バス)=名塩→

宝塚発山口営業所前行バスを名塩BSで下車12:56。蘭学通りがR176と分かれるのはここと名塩東BSの間約0.5`

蓮如上人御旧跡碑=多分教行寺のことと思うのだが...

すぐ真宗本願寺派の寺院“源照寺”が。そしてすぐ坂の上に

同じく同宗同派の寺院“教蓮寺”。ここはデカい。一瞬教行寺かとカン違い

更にその上に石垣。お寺さんらしい匂い紛々。この建物は?

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桜の向こうに石段と山門らしき・・・閉まっている。背後に太鼓楼と鐘楼 

太鼓楼。名塩東BSあたりからだと城郭のように見える。EL160b(BS付近は120b) 

閉まっていてはしようがないので左手の坂を上がると何とか保育園の門。ブザーを押して来意を告げると園長先生らしき男性が開けて下さった。境内は保育園の園庭として使われているので外部者は極力お断りしていると。問わず語りに聞かせてもらった範囲では、地区は下2寺の檀家さんで云々。どうやらこのお寺はいわゆる檀家がなく、地区篤志の方々によって維持されている、いわば無住持寺で宗教活動はされていないみたい 

 

教行寺きょうぎょうじ は浄土真宗本願寺派の寺院。山号は中山。本尊は阿弥陀如来。創建年は文明7年(1475)で、蓮如によって開基された。正式寺名は中山教行寺。名塩御坊とも称する。右は頂戴したパンフレット「名塩御坊教行寺略史」

摂津名所図会にはこう記す教行寺(けうぎやうじ) 同村(名鹽村・編者識)にあり。浄土真宗。本尊阿弥陀仏。寺に永正八年の告牓あり」。因みに永正八年は1511年

本堂前の片隅に真っ白な釣鐘。聞くと戦時中軍の要請で鉄鐘は供出され、その代わりにアルミニウムで作ったものだという。今鐘楼に下がっている鐘は戦後復鋳されたもの

本堂左手から。いろんな装飾物・建物付属物は最低限必要なもの以外は外されているような感じ

寺境内=保育園園庭=に大木の切株3ヵ所。正面右の玉垣で囲まれたのは蓮如上人のお箸杉。何年か前の台風で折損倒壊したという

あまり長居しても保育園の先生方にご迷惑をおかけするだけ、と、鄭重にお礼ご挨拶申し上げて失礼する。境内で景色を堪能しながら持参のファミマ弁当を広げよう という目論見は敢え無く潰えた

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JA兵庫六甲名塩支店。この近くに緒方洪庵夫人・八重の胸像があったのだがすっ飛ばしてしまった

名塩川にかかる鴨谷橋。「蘭学通り」の表示。JAの場所に蘭学塾があり、八重が陰ながら支えたと伝える。序でながら八重の父は当地の有力者だった

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蘭学通りから八幡神社への参道。しかし社名標柱は“八幡神社”や“八幡宮”ではなく「名塩厄神」

鳥居の扁額は正八幡宮

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社号標柱は大きく「名塩厄神」。八幡神は厄除の神とされたというのでこの表示は不思議ではないのかナ

八幡宮本殿。摂津名所図会に謂う八幡宮(はちまんぐう)名鹽村にあり。祭神山州男山よりの勧請なり。此地の生土神とす。毎歳九月二十一日、例祭として神前に於て翁三番叟あり。これを面掛祭といふ」

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神社横手からバイパスへ出た場所が絶景ポイント(EL150b)。中景に西宮名塩駅・遠く宝塚市街

バイパスを下るとR176・蘭学通りとの三叉路かつ名塩東BS。名塩からJRで帰ろうかと考えていたのが急に気が変わって、来た道を戻ることに

→(源照寺)→(教蓮寺)→教行寺(蘭学通り経由)→名塩八幡神社→名塩東BS=宝塚(阪急)=豊中/阪急豊中駅=千里中央=

編集中に気づいたこと:奈良の箸尾御坊も富田御坊の片一方も「教行寺」だった。ただし両寺とも真宗は真宗でも本願寺派ではなく、大谷派だが

今日の総歩数 6,293 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら