西国街道・伊丹坂を攀じる  2022年3月2日

♣ 独 行 “猪名川以西の皇太神社完拝” ♣

いくつか言い訳をしておかねばならない。まず“北摂”の代わりに“猪名川以西”としたこと。「春日社を巡る」シリーズでは『淀川以北かつ武庫川以東の摂津』と雑把に決めてスタートした。が、伊丹台地上は武庫川以西とも異なるものの、猪名川以東とも微妙に違うのでは、と思い出した乃公の心の揺らぎの産物。二つ目“攀じる”は、せいぜい標高差10b強の伊丹坂をのぼるのにオーバーな、、うむ、そのクレームは聞き流して、いざ、JR北伊丹駅を出発。14:18。

JR北伊丹駅から南下し、芭蕉もどきにこんなところを通って駄六川沿い。。。西国街道に入る。蝋梅満開。

有名な“辻の”のある四つ辻。向うへ伸びるのが多田街道、撮影者の位置左右に伸びるのが西国街道。

伊丹坂。伊丹の台地へ西国街道が登ってゆく坂の謂い。この台地の縁(へり)は伊丹緑地と称する緑地帯。

和泉式部のものと伝えられる墓が伊丹緑地ちかくにあったので立ち寄った。一部を欠いているが立派な五輪塔。彼女がこの地で詠んだ歌が一首だけ残されている。♪津の国のこやとも人のいふべきにひまこそなけれ芦の八重葺♪  

伊丹大鹿に坐す 西皇大神社(にしこうたいじんじゃ)。祭神は 天照大神、春日大神、誉田別命。写真左から社頭風景、拝殿、本殿覆屋。先日(生瀬、宝塚川面)に続く3社目の皇太神社。【以下は境内説明板碑による:観應2年(南北朝時代)妙宣寺の大覚大僧正によって創建せられた三十番神社がその淵源で、五百年にわたって寺僧による管理が続き、明治の神仏分離で今の社名になったと伝える。】社殿・本堂ともども西南西に正面を向くが、当社は正面方向に参道がなく、北北西に入口が作られている。これは神仏分離で寺社間を仕切ったのちの仕事と思われる。

社殿は鉄筋コンクリート造で新しいが、社前の灯篭には「元禄七甲戌暦正月吉日」の銘刻がある。(1694)

地区の水田耕作にまつわる取水権騒動話は各地に残るが当地も同じで、その解決時につくられた石造の樋門「茶わん樋」の遺構が境内の片隅に。宝暦9年だったという。

拝殿前からかつて同一境内だった妙宣寺本堂を望む。

法華宗本門流の寺院・大覺山妙宣寺。これは本堂。

参道正面に建つ七字名号碑。

余計な注釈:市内緑ヶ丘にも同名の寺院がある(山号広布山)が、明治の創建にかかり、現在は日蓮正宗の寺院であって当寺とは関係がない。Wikipediaで妙宣寺を検索すると大鹿の方でなく 緑ヶ丘の方の記事しか出てこず、双方の写真が交じりあって表示されるなど紛らわしく、首をひねるところである。

西皇大神社のみのつもりが結構道草をくって、これまた気変わり変更の(JR伊丹駅予定→)阪急伊丹駅からグランドパス利用を試みた。下記の通り思いのほかスムーズに乗り換えが出来て早く帰れた。最後に懺悔しておくが今日は味舌天満宮に境内社を確認に行く予定だった。しかるに岸辺駅改札前を通過するとき「宝塚行」が5分後に来ることに気づき、急遽伊丹往きに変更したのである。

=JR岸辺北口/岸辺=北伊丹→番屋辻→辻の碑→坂口橋→伊丹坂→伝和泉式部墓→西皇大神社→妙宣寺→阪急伊丹駅BS=阪急豊中=千里中央=

今日の総歩数 8,417 歩    ̄|△| ̄   ルートマップは省略