久し振りに府県境を越えて 2021年10月14日

♣ 独 行 “山科本願寺の跡を巡る” ♣

緊急事態宣言解除から2週間。別に“大丈夫”と素人判断したわけでもないが、気を付けるところには十分配慮しつつ動きたい。そして動ける範囲を徐々に増やしてゆきたい。。それで候補に挙がっていた2つの寺内町巡りの一つを選んで9時過ぎのバスに乗る。

=JR茨木/茨木=JR山科→

JR山科駅から地下鉄で東野駅へという予定だったが、青空が“歩こう”と言って呉れているように見えたので 地上を行くことにする。正面の大通りを南下するのは何か忙しそうで憚られ、一つ西のくねくねした道を辿る。山科の地形そのままか、微妙に南へ向かって下り基調の道が続く。1`もゆかぬうちに左右にこれらの石碑が、

「東御坊」。ここは東門。大屋根が見える。

その向かい側「是より三丁/蓮如上人南殿御舊地」の道標。判ったのは帰宅後。この向うへ延びる道が南殿への道・蓮如が通ったと伝える道だった。

Sample

東本願寺山科別院 長福寺ちょうふくじ」が正式名称だが、山科東別院、東別院、東御坊、御坊さんとも呼ばれているという。本堂は南向き。(ピンボケなのでonmouseお勧めしません)

「蓮如上人」立像

山門(南門)

東別院南方(微西)100b余で「蓮如上人御廟所」。明応8年(1499)入寂。荼毘に付され、遺骨が埋葬された場所に御廟が建てられたと伝える。

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御廟所から西へ安祥寺川を渡ると山科中央公園があり、公園内に山科本願寺土塁跡がある。名前は京鷹峯に残る秀吉ゆかりのものと同じ「御土居おどい」。左写真の中ほどに階段が見える。登ると遊歩道(右写真)。

山科別院の山門は西北向き。御廟所の方を向いて作られているようだ。

境内には報恩講の幟旗。今日は法要2日目らしい。

本願寺山科別院(別称山科西別院)。浄土真宗本願寺派の直属寺院。本堂は西向き。さすがというか当寺は現役感バリバリ。

ご本尊にではなく、カメラに向かって瞑目している珍しい1枚。セルフで撮り直すのが面倒臭かっただけなのだが。

地下鉄筋を越えて東北東へ約1`。蓮如上人が隠居生活を送ったと伝える南殿跡。建つは光照寺

南殿幼稚園入口に建つ道標「是より三丁/蓮如上人御塚道」

境内の蓮如上人像。本堂らしき佇まいの建物は見当たらず。幼稚園は通り抜けられず。南殿関連の諸遺跡は全てすっ飛ばし。

すっ飛ばしでは申し訳ないので、近所で見かけた「蓮如上人御指図の井戸」を紹介しておく。

帰りぐらいは地下鉄に乗ろうよ、ということで。。。この東野駅ホームまでエレベーターやエスカレーターを使わずしっかり歩いて降りた。手すりも持たず。意外にここの地下鉄は深かったのである。

かくして久しぶりの “府県境(厳密には府境)をまたいだ外出” は終了。これで1万歩に達せず。

=JR茨木/茨木=JR山科→東御坊長福寺→蓮如上人御廟所→山科本願寺土塁跡→本願寺山科別院→南殿跡光照寺→京都地下鉄東野=山科/JR山科=茨木/JR茨木=

今日の総歩数 9,776 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら