高槻市の春日神社完拝  2021年9月27日

♣ 独 行 “高槻市の最奥地区を歩く” ♣

高槻市の最奥地区とは高槻市杉生地区のことだが、ここまでJR高槻駅から18`。何とJR亀岡駅(京都府)までだと8`弱しかない、いわば高槻市の最果ての地なのである。交通は市営バスで一日2便、土日は朝1便しかない。その故もあって乃公のコロナ禍下ハイキングテーマの一つ「北摂の春日社巡り」はここ数ヵ月頓挫していた。一昨日、高山地区に久闊を叙して以降“日和よければ”と狙っていたら今朝の青空。行くしかないではないか。

11:37バス発車。ややあって原立石BS。ここはポンポン山や摂津峡歩きでよく降りた。山中で森林センターはAZハイキング例会で来たらしいが乃公欠席だった。あと殆どノンストップで田能の盆地に出る。ここから中畑を経て善峯寺や金蔵寺、小塩山へ辿ったのは何十年前か。殆ど記憶的には“サラ”状態のまま、気が付けば乗客は乃公1人となる。樫田トンネルを抜けると目的地「杉生」。田能とともによくある「‥お」地名の一つだが今日は置いとく。

杉生BS12:24到着。47分かかった。バス停(回転場)南側に10軒ほど。

北側には数軒。これで一つの集落で、1社1寺が鎮まる。(寺は鎮まるとは言わないか)

そのうちの1軒の庭には秋桜が満開。蒼空に秋の到来を告げる。

お社への道を心配していたが、案ずるに及ばず。十数軒の在所では不要なはずの案内表示があるということは、ここもある意味“観光地”なんだ、と。

社頭鳥居まで三十数段の石段。ここまで来てめげる訳には参らない。↙

社殿。とは言い条覆屋内本殿の他は境内社凡10社余。

さらに同じほど登って境内。↗

本殿は一間社流造。のようだ。

例によって例のごとし。

上記向かって右側から。

上記再掲。陽は真昼。折しも彼岸数日後。

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オッ、バス間に合った(15分しかないのによくぞ)。でもなあ、これに乗ったら「本日の総歩数=数百歩」になってしまう。涙を呑んで見送る。

歩き出す。右手にさっき訪れた春日社の石段と鳥居と灯籠が。onmouse→UP それにしても人ッ気皆無だった

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まもなくさっきのバスが。追い抜きざま運転手の白手袋が挙がるのが見えた。

そしてすぐお寺・妙楽寺(山号慈雲山、臨済宗妙心寺派の寺院)onmouse→正面

そして 件の“樫田トンネル/長さ280m”とあった。

トンネルを抜けて振り返る。ネット情報ではこのトンネルも心霊スポットの一つだと。能勢の野間トンネルでも同じことを聞いた記憶。

田能に出てきた。表示は「右通行禁止」そして「左高槻/向日」高槻は府道4号、向日は向日市への府道733号。

左へ回り込んだところにこの石段、灯籠、鳥居。碑に「村社 樫船神社」。この参道は地形図には見えるがGoogleMapには載っていない。ここのELは347b。

参道登り口から大凡300bでお社着。標高差40bの行程はけっこうキツイ(133‰)。

舞殿。

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社殿風景。唐破風。

覆屋内の本殿。これも唐破風。

時すでに13時半。境内を借りて昼餉と思ったが、とてもそんな雰囲気ではなく、GoogleMapを信じて脇道へ出ると、何と陽光燦々とふりそそぐ溜池の傍に出る。ラッキー。

これはイノシシ・シカ ゲッター。早い話“罠”。白いのはエサ。

助六寿司賞味中。吹く風爽やか。涼しかった。

府道に降りると樫船神社の一の鳥居が見える。

南微西方向に200b余の田んぼの真ん中。灯籠には天保14年とあった

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ゆっくりと田能BSに着く(14:00)。が、バスまで23分待ち。“待てるか!”次のバス停・樫田校前まで歩くことに。

見過ごしてしまいそうな、これが樫船神社の宮寺。「神宮寺」の扁額がかかり、鰐口がぶら下がり、下の箱には「浄財」つまりお賽銭箱とある。

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樫田校前BSの前のJAの前の秋桜風景。遠くかすむお伽の館風の建物は特養老ホーム。

かくして14:26のバスに乗らんと向かえば、何とバス停は樫田小学校生徒十数人で満員。聞けば何とかという山村留学制度?で街なかから通学しているのだそうな。以前岸和田の山手に行ったとき同じようなことを見聞きした記憶がよみがえる。「どうぞどうぞ」と先に乗らせて貰って齢を実感。

かくして足掛け2年にわたる「北摂の春日神社巡り」は今日の杉生春日社参拝をもって完結した。

=JR岸辺北口/岸辺=高槻/JR高槻駅北=杉生→春日神社→妙楽寺→樫田トンネル→樫船神社→溜池(昼餉)→樫船神社一の鳥居→田能BS→神宮寺→JAたかつき→樫田校前BS=JR高槻駅北/高槻=茨木/JR茨木=

今日の総歩数 10,496 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略