三密きわまれり大阪城  2021年2月22日
―自分もその一人―

♣ 独 行“大阪城梅林” ♣

新聞の「梅だより」で“大阪城満開”を見ると『行かざァなるめェ』・・・そう思って準備して早々に出かけたのだが、まさかこれほどと思ってもみなかった。何をって? 人出。。。気が付いたときはすでに→岸辺北口/岸辺→大阪→大阪城公園→の途中だった。これを称して“後悔先に立たず”と謂う。( ;∀;)

いやいや、実は気が付いたのはこの駅を降り、大阪城ホールを過ぎてからだったのです。正直な話。

青屋門の手前に落ち葉の掃き寄せで五輪マークがまだあった。「ファイト」の字を加えて。

ここからは「大阪城梅林」。敢えて人が映り込まない角度を探してシャッターを切ったので一言申し添えておく。観梅客はシャレにならんくらい多かった。これは掛け値なしの三密。 人が多いと“花に寄って撮る”ことが憚られる。気の弱い乃公など猶更。それで下記のようにロングに引いた写真が多くなるのである(言い訳)

写真を幾許か撮ったところで辛抱たまらず逃げ出すことに。これを称して「這う這うの体」という。下は 雁木坂途中から梅林を俯瞰したところ↓。click→若干up

雁木坂を上り切ったところに六字名号碑がありその陰にこの「蓮如上人袈裟懸けの松」が。

桜門(南に面した門)。門越し真っ正面に天守が見える。

蓮如ゆかりの 石山本願寺推定地 碑。<大阪市立修道館の西に位置する。背後は六番櫓。大阪市教育委員会の説明板を抄録する。「・・石山本願寺周辺は山科と同様に広大な寺内町が造営された。この造営が現在の大阪の町並の原形となったと考えられる。・・」

大手門から出て府庁南を谷町筋へ。北上し、天満橋を渡って、

滝川公園。何かって? ここはかつての天満御坊の跡地だというのだ。

珍しく高低二段になっている。この暖炉みたいなアーチは飾りかはたまた何かの遺物か?

曰く、「史跡天満興正寺御坊址」の碑。裏面の能書きを採録する。「文承元年(1264)真宗興正寺第三世源海上人攝津御化導ニ当リ当地ヲ天満御坊トシテ法灯ヲ創ム 天保八年(1839)大塩平八郎ノ乱ノタメ焼尽ス 安政二年(1856)第二十七世本寂上人コレヲ再建シ興門ノ法灯攝河泉ニ光揮ヲ放ツ…」云々

公園を出て程なく天満の天神さんこと大阪天満宮。梅の季節だが天神さんにしては梅の木が少なすぎる。

なあ、牛さん、そう思わへんか?

天神さんから梅田へ出、Metro/北急で千里中央のLABIへと考えていたが、PCの一件については考え未だ煮え詰まらず、今日はとりあえず直帰する。

今日の総歩数 13,115 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略