西国街道中河原まで  2020年12月9日

♣ 独 行“西国街道小野原から中河原までと茨木道” ♣

山奥に突っ込むには準備不足。かくなる上は先日の西国街道の続きを歩こう。間違っても高槻のIK君邸まで行ってしまわないよう留意の上。

=千里中央=小野原→小野原南→(西国街道東行)→楠水龍王→MR豊川駅→豊川坐春日神社(午餐)→椿の本陣→中河原=JR茨木→

60年前の牛追い農夫の写真ってこんな角度だったか?

そこから東へ西国街道。先日の続き、はじまりイ!

200b許り東行すると箕面市MVGのいくつかのポイントが。。楠木正成ゆかりのお堂「楠水龍王」、前の石碑が「京ふしみ道」碑と常夜灯籠。西国街道は左へ。

左正面須賀神社と小野原春日神社お旅所。

街道沿いの某家の門柱にこれが。言わずと知れた“三猿”。遊び心横溢。この辺で箕面市おわり。

MR豊川駅は茨木市の端っこ。あの茂みあたりから向こうが箕面市だ。

風情ある小野原も豊川駅近くなってくると殺風景になり、豊川の在もしばらく同じ調子だが、こういう風景が見えてくると“街道筋”らしさが戻ってくる。

そしてまもなく大きい燈籠に導かれて勝尾寺川の神橋を渡ると、豊川に坐す春日神社。

Sample

豊川から鍛冶屋橋を渡ると宿川原。“宿”の名の通り旧街道必須の宿場があった集落である。

大きなツバキの木が存在感を示す“椿の本陣”こと郡山宿の本陣。このご時世、見学お断り中のようだった。

本陣の東すぐに茨木街道云々の道標。右はおそらく茨木の街への道。左は西国街道。

宿川原バス停。ついこの間ここでバスを降りて鉢伏自然歩道に入ったのだった。

でっかい生コンタンクに隠れているのが阿武山。手前を勝尾寺川が向こうへ流れる。

街道脇の小流路に「南無阿弥陀佛法界」の碑。場所は下井町。

亀岡街道との交差点に出る。大きな「南堺九里住吉七里大坂五里吹田三里茨木駅」の道標。最後のくだりで明治以降に建てられたものと判断。その左手には「史蹟中川清秀由緒地」の碑と茨木市教育委員会の説明板。下河原である。遥か遠く茨木竜王山。ここからバスの人となってJR茨木へ。だんだん気分的にしんどくなってきてこれ以降写真はストップ。

ここでまたまたコロッと気が変わった。真っ直ぐ千里中央行きのバスに乗り換えて帰宅予定が、チョッと時間があるなあ、となったら歩き出し、止まらない。でも思ったほど距離が伸びなかった。

JR茨木→Æon→宇野辺BS(通過:茨木道)→ジョーシン千里丘→山田二小→千里丘小→須佐乃男命神社→Cコーラ社→千里丘7丁目BS(pass)→山田南BS=

今日の総歩数 16,985 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略