久しぶりの“登山”無事完了
2020年10月21日

♣ 独 行“保久良神社参拝” ♣

あれは1987年というから昭和は62年、千里Bではこの頃練習以外もいろんな活動が活発でハイキングもその一つだった。F田君主唱でゴールデンW直後ロックガーデンに行こうということになった。阪急芦屋川からRG経由風吹岩、そして魚屋道から保久良神社を経て下山し、阪急岡本までというルート。
あれ から数えて33年。どう変わったのか、それともここいらは変わってないのだろうか。そんなことより、あれから三十三の齢を重ねた爺ィは登り切れるのか、いろんな思いを胸に岡本駅頭に降り立った。

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11:52 駅地下道をくぐり 大阪行きフォームから北改札口を出る。

Map頼りにちょっとウロウロしたがさしてロスもなくここT酒屋さんの店頭着。「こっち阪急そっち保久良神社」みたいな道標があって、幸先良し。

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目の前の山へ向かって遊び無しの登り道が続く。川が傍に来ると天王橋袂で「保久良神社参道←」の道標があり(65b)傾斜が一層きつくなる。

海抜100bチョイに最後の民家があって曲がるとこの標識。あと斜面強化工事の様見えて“そうか、みだりに車に入られたら危険なのだ”と納得。

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神社周辺は古代の磐座信仰を思わせる巨石がゴロゴロしているが、これは見えなかった。曰く「磐座 珍生岩」(『いわくら/うずなりいわ』と読むらしい)

何度目かの角を曲がったら、出た!「海抜一八五米」。右向こうに鳥居が白く輝いている。駅が33bだったから標高差150bを“登山した”勘定になる。(ひさしぶりだよ)

(この前歩いて山に登ったのが 2016年きょうだいハイキングで天王山=標高差250b=だった。衰えたョ喃)

鳥居前、兵庫の津を一望する灯籠は「灘の一つ火」として灯台の役目を果たしていたと伝える。ここで灯籠と並んだ写真を通りかかった人にお願いし2枚撮ってもらった。“撮ってもらった”筈なのだが、カメラ内をどう探しても見当たらない。写し損ねはったらしい。確認すべきだった。残念。因みに灯籠下のモノは近くで草刈りお仕事してはった方のもの。

社頭の椎根津彦命像。下記のように祭神の内の一柱ということになっているが、記紀伝承や“灘の一つ火”から推して、元々当社はシイネツヒコを祀るお社だったのではないか。そう思われる。青亀に乗っているのが特徴。

式内社・保久良ほくら神社。祭神(主)須佐之男命、(相殿)大歳御祖命・大国主命・椎根津彦命。「ホクラ」は「矛倉(ホコクラ)の転…神功皇后朝鮮出兵の戦利武器を収納」・「火倉(ホクラ)…灘の一つ火から」・「秀倉(ホクラ)…古代祭祀用具の収蔵庫」等々聞かれるが乃公一押しは「灘の一つ火」説。 保久良神社(ほくらのじんじや) 北畑村にあり。〔延喜式〕に出づ。今牛頭天王と稱す。本荘九村の生土神とす。毎年六月七日より、神輿を社前に飾り、十四日に至るまで、村民集りて祭祀を行ふ。京師祇園會と同時なり。【攝津名所圖繪】 写真左から社頭鳥居と社号碑、拝殿、本殿(覆屋)

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拝殿前狛犬阿形。onmouse → 乃公 吽形?

     

境内末社 祓御神社/祭神 天照皇大神・春日大神

この向こうを登ると金鳥山からロックガーデンに至るハイキングコース。33年前そこを越えてきたのだ

神社西にあった巨石「磐座 神生岩」(『いわくら/かみなりいわ』)

この風景は左右多分同じなのだろう。左は今日、右は33年前SBハイキング。樹々も33年経ったら大きくなって不思議はない。(それとも新たに植えたのか?)

麓(東灘区本山北町6)に坐す八幡神社。通称鷺宮八幡宮。祭神は天照大神・八幡大神・春日大神。左から正面鳥居、拝殿、社務所と本殿(社務所は保久良神社の社務所を兼ねる)。当社は保久良神社のお旅所で拝殿左前に神輿台らしき石壇がある。

保久良神社は阪神淡路大震災で社殿や鳥居に甚大な被害を受けたが程なく復興。そのとき以降のものか、前の写真には存在のない玉垣が今や社頭や境内を埋め尽くしている。樹々の茂りも半端ではなく、氏子諸氏の並々ならぬお社への熱意が伝わってくる。☆それにしても乃公、情けない喃。これだけの「登山」で 下り途中ふくらはぎに感じた張り・違和感はキビしかった。齢はとりたくない、って言ったって仕方がないが。

今日の総歩数 (3`÷0.65≒)4,600歩+標高差150b分    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら