冠須賀社又もや行けず  2020年7月29日

♣ 独 行“高槻の春日神社巡り−2−” ♣

“冠須賀社”云々はClosingに置いといて、出発時は大丈夫と思った天気に振り回されたWalkingであった。特に五百住神社の鎮座場所を軽視し過ぎたというのが今日一番の反省事項。よくみると 阪急富田からは分かりやすいが、女瀬川沿いに下って辿り着こうとすると、予め承知していないと今日みたいな悲惨なことになる。まずは「高曇りの宮田春日」と「雨の五百住」をご覧あれ。

Sample

JR摂津富田から北へ1`に坐す宮田春日神社で まず目に入ったのがこの掲示「宮田遺跡」。平安後期から鎌倉時代(12〜13世紀)に営まれた農村集落跡で、春日神社はその西北隅に位置する。onmouse→mapがup

宮田に坐す春日神社。祭神は天児屋根命。通称“宮田春日神社”。正面鳥居・社殿ともに西面する。社殿は老朽化の為昭和45年(1970)再建された。

境内社「白王大明神」。早い話“お稲荷さん”。

社頭燈籠の銘「弘化二乙巳年九月上旬吉日」と読めた。1845年だ。

ここから女瀬川沿いに南下。途中で雨が降ってくる。暫く愛仁会さんの庇を借りて雨宿り。JR線・阪急線をくぐり右折する。さあここから本日の悪戦苦闘がはじまる。阪急富田駅手前まで行けども行けどもお宮さんらしきものがない。結構なお屋敷町。傘をさして行ったり来たりで足元がズクズクになる。だんだん気分がめげてくる。思い切って女瀬川まで戻ろうとしてこれが正解だった。さっき阪急をくぐってちょっと曲がったところだったのだが、その時は分からなかった。小さなMapのプリントではこういうとき辛い。その小さい字が雨粒で滲んではもうどうしようもない。

ここは「五百住神社」。しかし祭神が素戔男尊と天児屋根命、つまり八坂神社(素盞嗚尊神社が正式らしいが通称の八坂で統一する)と春日神社と称し、拝殿の後方に2社の本殿が並ぶ。困ったことに社名がどこにも書いていない。だいたいこういう所に付き物の由緒碑がない。エエイ、向かって左が唐破風なので勝手に春日神社と断定する。写真は社頭鳥居(↑2社共通↓)、五百住神社拝殿(↑2社共通↓)、春日神社本殿(上↑)・八坂神社本殿(下↓)・・【独白 こんなの初めてヤ】・・見ての通り狛犬は阿形が右に、吽形が左に一体(一対ではない)ずつ坐す。珍しい。

大阪府神社庁HPでは、素盞嗚尊神社(八坂)には向かって左の本殿(唐破風)の写真が、春日神社は「拝殿」の写真が使われている。つまり乃公の比定と逆で、また共通であるべき「拝殿」を春日社のものとしている。困った。

それはともかくここの社叢は高槻市の保護樹林だという。

拝殿前でセルフタイマー撮影。(どう間違っても寿老人ではないゾ)それにしても雨の中 よう撮ったョ。

ここでついに堪忍袋の緒、ではなくて我慢にも限界がきた。五百住さんから前回飛ばしてしまった辻子のお社へ行く筈だったのだが、距離がこれからの方がしっかり長いわ、雨は止まないわで、ヤーメタ。阪急富田駅手前の踏切を渡り、さっき降りた摂津富田から帰ることにする。あーあ、又もや冠須賀神社へ行けず、か。