川跡をたずねて約半里  2020年7月23日

♣ 独 行“上の川跡モニュメントを訪う” ♣

最近“来たバス”に乗ってからターゲットを決めることが多くなった。行き当たりばったりとはまさにこのことだが、違うのは“ばったり”と倒れて中止せず必ず行き着くことである<(`^´)>。今日のターゲットは1月にバスの都合で行けなかった上の川水路跡。
ㅤ上の川は下記碑文にあるように、豊津駅西から南流僅かにして車道の上を流れる天井川だった。暴れ川で大変だったらしい。いまバス道沿いにマンションが建つが、その土台壁面=かつての水路のあった高さ=にモニュメントが作られている。そこを訪ねた。

上の川(左)と糸田川(右)の合流地点。マンションの向こうが阪急豊津駅。

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豊津交番前に建つ碑はその水路変更工事を断行した初代吹田市長の顕彰碑。

豊津交番から西行すぐ当該マンションが右に見える。
もと天井川堤防上だから“高い”。ファミマ看板横の植え込みの上が1階である。

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onmouse-11年前の同じところ。カートを押すヤングパパの頭上3倍がとこの位置にある「額縁」が旧水路のあった位置。

上記ヤングパパの頭のすぐ後ろに見えるプレートがこれ。乃公2011年正月にここを通ったのだが、その4年後にこの建物が出来て様変わりしたようだ。

関大の位置する山手町と千里山住宅地の間を南流する上の川は、豊津で糸田川(山手町東部を南流)とぶっつかるところで合流しないで垂水の牧低地に流れ落ちていたようだ。その運び出す土砂がこの天井川をつくり、溢水を繰り返していたという。いまだにこの付近は橋や堤防が10bあり、流水面と川端の住宅地はほぼ同じ6bという天井川状態。それが徐々に低まって神崎川に流れ込む。泉町の町中をスッと歩けず行ったり来たりした、この複雑な街並みは、水に弄ばれ続けた土地の過酷な状況を無言のうちに物語る。

今日の総歩数 (2.2`÷0.65≒)3,400歩強    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら