冠須賀社一つすっ飛ばした  2020年6月28日

♣ 独 行“高槻の春日神社巡り” ♣

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高槻城址の高山右近像。手にする磔刑十字架には「JNRI」の文字。通常Jesusを「Iesus」とし「INRI」と書かれることが多い。 攝津名所圖繪にこう記す。高槻城(たかつきのしろ) 古は高月と書す。地名を野身郷高月邑といふ。亂國の時こゝに大木の槻あり。本陣と定められしより槻の字に改む。城主(中略)其後和田伊賀守高山右近居城し(後略)」

迷い込んだ春日町の駐車場にあったクスノキ(高槻市の保護樹木の一:樹高23.7m、幹回4.33m)

その近所の家のご主人に「春日神社」の在り場所を教えてもらい見つけたのがこれ。

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鎮守の杜を想定して探したら見つからなかっただろう、何とも物寂しい境内風景は 春日町に坐す春日神社。祭神は速素盞烏命、天兒屋根命、應神天皇。

ここから本日の放浪の旅が始まる。まず一つ目にして最大の勘違いは春日神社の横を走る道路を新幹線へ直交する道と思ってしまったこと。100b先のR170を右(南)にとって進まなければならないのに左(北)にとってしまった。これでは目的地に着けるわけがない。かくなる上は北摂山地らしき山影。これが淀川方向(新幹線方向)からすれば遠ざからなければならない。遠くの家並みの上に新幹線らしき架線が見えた時は只々「!」あれを越えろ、そして鎮守の杜を探せ。そこで「冠須賀」の社名を見た時はホッとするだけで、一つ=辻子に坐す冠須賀神社=をすっ飛ばしているなど思いもせず気付きもしなかった。そう、ここは同じ社名でも須賀に坐すお社だったのだ。北へ道をとった報い。いまさら戻れない( ;∀;)。後生大事に持ってきたMapのプリントには町名など記されていない。

通称“かすが神社”「冠須賀神社」。祭神は速素盞嗚命。社頭の高槻市教育委員会の説明板に曰く「(略)社名は、南北朝期の14世紀中頃、冠荘の開発と在地武士の定住に伴って春日社を勧請し、地名になぞらえて「冠須賀」としたともいわれ、当社が所在する須賀町の由来ともなっています(略)」とある。春日社を勧請したのだったら祭神は春日大神だろうにいまスサノオになっているのも解せないが、すべて歴史の闇の中か。境内にいたオッチャンに聞いたら「最近引っ越してきたばかりで・・」。

社殿は昭和61年(1986)に改築され三十数基の灯籠も設置された と手前の新しい石標に記す。

遠景。このときまだもう1社「冠須賀社」が先にあるとばかり思っていた。勘違いもここまでくると「極まれり」か、嗚呼。

どこで気が付いたか。そう、途中に高槻市の歴史散歩道案内(?)の表示板があり、それをみて気付いた。今来た方へ「→冠須賀神社」向かう方へ「←春日神社」。二つの冠須賀社の間に居るのだったら両方とも「冠須賀神社」でなければならない。『ヤッチマッタ』後の祭り。向こうの堤防は多分「桧尾川」。あの森だろうな、「春日神社」は。 、

案の定、その通り。鳥居扁額には「春日大明神」=東天川に坐す春日神社。社頭の市教委の説明板にこう記す。「春日神社は、天児屋根命を祭神とする。/創建の年月は不明であるが、12世紀頃、藤原摂関家が桧尾川右岸一帯の荘園「安満荘」を領有していたことから、在地領民等が藤原氏の氏神春日社を勧請したとみられる(略)」攝津名所圖繪にもあった。春日神祠(かすがのやしろ) 東天川村にあり。野田・前島の生土神とす。」

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桧尾川右岸堤防からの参道。当社やこの辺の人家は田圃より稍微高地。川は今や天井川。

右岸堤防上の道は車が多くヤバいので左岸堤防を歩く。遠く比叡山。onmouse-山up

R171が桧尾川を渡る右岸に最終ターゲットがあるのだが、国道は天井川を渡って(越えて)いるので色々考えて、手前で右岸に移って下りたが、お社の周辺は新興住宅地のようで道が分からずウロウロする。

野田に坐す春日神社。鳥居扁額は前社同様「春日大明神」。当社の説明板は間違いが散見されたので修正して下記する「御祭神/天児屋根命/奈良春日大社の分霊をこの地にられ 五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄の守護神として 又 鎮守の神として今もなお人々から篤く崇敬(すうけい)をあつめている。/1692年(元禄5年)及び1838年(天保5年)に当時の奉行所による社寺吟味があったと記され 大鳥居は1704年(宝永元年)に 石灯籠は1773年(安永2年)御手水鉢1782年(天明2年)に建立(こんりゅう)され 後1892年(明治26年)本社拝殿等大改築が行なわれた。/野田春日神社」 ごめんなさいね。でもさえらのすし国語審議会として無視できなかったでのお許しあれ。

どこだったか途中で足が吊りかかり、泉南で同様のことがあったな、と記憶が蘇る。幸いすぐ納まったものの、10`弱で負担を感じるようでは、おぬし衰えたものよ喃。あとJR高槻まで一直線。

今日の総歩数 (約8.2km÷0.65)+α≒1万3千歩弱    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら