茨木市庄と倍賀の春日神社  2020年3月5日

♣ 独 行“茨木坐春日神社落穂拾い” ♣

いやいやどんなにしょぼくれていても“落穂”なんて蔑んだつもりは毛頭ございません。(ならそう書くな) 順番的に或いは場所的に最後に回ってしまったので。ごめんなさい。茨木市内に坐す春日社8社(9社とも)はこれで完拝。至近参拝日は次の通り:
今日【庄、倍賀】、2020.3.2【天王、下穂積、中穂積、上穂積】、2020.2.28【豊川】、2019.2.23【清水】。これで8社だが、9社説はどうやら江戸時代に春日社と称されていた宿久庄坐須久久神社を入れているみたい.同社は2019.12.20 只今発見。9社説は須久久でなくて【銭原】=未訪=が入っている(3/7追記)。
ㅤJR茨木乗継阪急茨木へ。

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阪急茨木市駅からR132を約800b北東行すると安威川。古い親柱が両岸に残されていた。「せんさいばし」。遥か遠くのピークはポンポン山。

マンションから半分顔を出しているのは竜王山。その左が雪っぽかったので撮ってみたが、どうかな? 実はこの辺で霰の再襲撃をうけ「痛い痛い」を連発していた。

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橋を渡って左・北西方向へ約600bで今日のターゲット@・庄坐春日神社(写真左から鳥居、拝殿、鳥居銘)。社叢がなくチョッとうろうろさせられた。鎮守の森は乃公お社巡りの大事な目印なのだ。社頭の説明板によるとこのお社は数回にわたって遷座したとのこと。石鳥居には天保八年丁酉(1837)の銘がある。

JR総持寺駅南の煉瓦トンネル。こんなの大山崎近辺にもあったよな。チャリが限度だが、いいね。これって。

トンネルを出て左折ほどなく“西河原新橋”。さきほどの千歳橋から安威川を遡ること約800b。これを渡り返す。

川端通りの田中橋交差点。向こうの木立は旧茨木川の流路跡。天井川で水害多発の対処策として約800b北で昭和16年に安威川に合流させた。左の写真で右の植え込みの中に田中橋のかつての存在を記念する石碑(右)がある。

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今日二つ目にして最終ターゲット・倍賀(へか)坐春日神社。近くに弥生に遡る「倍賀遺跡」がある。さっきの庄のお社はささやかだったがこちらは境内摂社もあってそれなりの規模。ただし鉄筋コンクリート造。

社殿脇にある国重要文化財の石燈籠。茨木市教育委員会がたてたそばの説明板にはこうある。
『(前略)この燈籠は、竿の上部に「春日大明神 摂(州)嶋下郡倍加村」と刻まれ、竿の下部には「敬白 高良社 石燈籠 延慶二年八月日 願主 紀□弘」と刻まれています。延慶2年は1309年にあたり、この石燈籠は鎌倉時代の製作であることがわかります。/竿上部の刻銘の字体は新しいことから、竿下部に刻まれた「高良社」が本来置かれていた神社と考えられます。ただし、移された時代や どこの高良社なのかは不明です』

ということで無事帰宅したのだが、万歩計を見ると1万6千歩を超えている。昨日は動かなかったので1千歩未満だったのは確認済み。今日里程逆算で大目に見ても7千歩。とするとあと9千歩誰がどう歩いたんだろう? 狐につままれたとはまさにこのこと。

今日の総歩数 16,209歩(4.1`)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら