江坂までお社めぐりで行こうとすると
2020年1月9日

♣ 独 行“江坂までお社巡りで徒歩行” ♣

先月の写真同好会のときのBlogを読み返して、今年はこんな無様なことはすまい、と。そして4社参拝後会場に到着するには13時出発で十分、という狸の皮算用をもとに出発した。ほら、言わんこっちゃない。見事に遅れたではないか。到着した時の皆さんの顔が「又かよ」。決して々々そんなことはないのだが、そう見えてしまったところに「引け目」の絶大なる効果? がある。
因みに当初予定は→吉志部神社→片山神社→垂水神社→

名次神社

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まず吉志部神社(これは二の鳥居:扁額には“太神宮”とある)。だいたいここへの道をカン違いした辺りから今日の行程はおかしかった。下山田バイパスを山五まで来て名神をくぐったら吉志部さん? ホラ、一筋違ったよ。。かくしてひと山越えて到着。不審火で焼失し再建されてから9年経つ。社屋も落ち着き、社叢もほぼ旧に復した感あり。まずは重畳々々。吉志部神祠(きしべのやしろ) 岸部村にあり。七社明神といふ。此村の生土~なり。毎歳正月十四日粥を煮てこれを祭る。これを粥占といふ。【攝津名所圖會】

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参道一の鳥居手前に坐す妙見宮の祠。話題にならない分昔から気になっている。屋根が今にも潰れそう。能勢へ出向くのが大変な時代の里宮の名残りか。

一の鳥居と灯籠。この扁額には“吉志部神社”とある。因みにこの常夜燈から拝殿まで約400m。参道には松並木も残って結構風情がある

そして次は思いもしなかった“めっけ物”名次神社。

当社は夙川ニテコ池畔に坐す式内社の名次神社と関係はない。抑々向こうさんは祭神が名次大神だが、当社は天御中主尊。社頭の造替次第を記した碑にこうある。「名次神社本殿再建築造/吉志部神社本殿築後三百九十年の記念の年に長い年月の風雨に損傷のはげしい名次神社本殿を光明町氏子奉賛会は会員の浄財と吉志部神社の協力で平成十三年五月これを新造再建し境内の神名石柱手水屋等も整備した」。かつて吉志部神社の御旅所でもあったらしい。攝津名所圖會にもある。名次神祠(なつぎのやしろ) 岸部村にあり。

江坂に坐す感神宮もそうだがここ片山神社も正式名称は素盞嗚尊神社。でも通称名の方が通りがいいのは「荒ノ男スサノオ」という神格、そして「素盞嗚」の字面のまがまがしさ? から敬遠されたのではないか、というのが乃公の勝手な推量。社頭右に半分隠れて見える社名碑にも「素盞嗚」

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二の鳥居越しに拝殿。左に見える絵馬には「片山神社」とある。

拝殿掲額は正式名称「素盞嗚尊神社」

ハイ。ここに来る途中から時間が足らんなあと思いつつ来たが、いよいよ垂水さんへ向かうどころではなくなった。市役所前でTAXIを拾おうかと考えたあたりフツーではない。社頭わきからNT社へ抜けようとして1mを飛び降りたら膝が拒絶反応を起こして。。。体力の減退を痛感しつつ、あとは市役所前→ライフ前(西行:糸田川を越えて)→江坂駅→(途中TAXIは1台も走っていなかった)。多分会場着は15分がとこ遅れていただろう。SH御大はじめ皆の衆ごめんなさい。
ㅤで、タイトルの結びは「江坂までお社めぐりで行こうとすると」『2時間半見て置け● ● ● ● ● ● ● ●』と決定。

今日の総歩数 (8.6km÷0.65≒)1万3千余歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら