新稲再訪  2019年11月27日

♣ 独 行“MVG「箕面の町の史跡探訪・新稲・桜ヶ丘・西小路コース」” ♣

「新稲再訪」とは2つの意味がある。「再訪」は2010年に取り敢えずクリアして今回は2回目なこと。再訪したのは「新稲」だけであって「桜ヶ丘西小路」は省略したこと、である。だいたいがやネェ、箕面写真合同展の行方が気になって、サンプラザを直訪するのが主目的だったのかもしれない(それは後刻初日の会場に飛び込めたことでよしとしよう)。要は千中7番乗場ですぐ来たのが82番でなくて83番だったこと。「あ、これは桜ヶ丘には行かん」と思い込んでしまったのが早とちり。83は桜ヶ丘にも回る循環バスだったとは、、、。かくして本コース13ポイント中、新稲=山手=の7ポイントに限ったのがタイトル「新稲再訪」ということである。

81番バスで新稲(にいな)(シンイネではない)BSで下りる。此処より写真左の山手にある市の施設や学校、宗教施設などの大きい建物しか目に入らない。早い話、この辺は溜池も4つ5つ残っているほどの田園地帯なのである。

E新稲の愛宕社。昔はここに火の見櫓が建っていて「理屈がよう合うとる【愛宕社+火の見櫓+消防団格納庫】」と言うたものである。(→ここ)

(左上とも)F新稲の一本杉と庚申塔。市内最古の庚申塔で「青面金剛」とある。この杉の切り株程度では池田まで影が届いたほど大きかったとはとても思えない。

D布袋山栄松寺。次に記す吉田家の菩提寺。はじめ永松庵と称したが、こきんの法名「円覚院桂月知栄大姉」に因んで栄松寺に変えたという。

C吉田家墓地とこきんの墓。大阪青山大学正門左わきに小さい「吉田家墓地」の碑があり、自然石の石段をのぼるとこれまたほとんどが自然石の墓碑が立ち並ぶ(左)。その右側前面に小さい墓石があって、そばの説明版に「萱野三平の姉こきんの墓」と記される。こきんは庄屋だった吉田家に嫁ぎ、ここに葬られたという。

B新稲古墳。大阪青山大とスカイアリーナの間の尾根上にある6世紀に作られた後期古墳。南面するが奥の石組みも外れてトンネルのようになっている。箕面市に残る唯一の古墳。

スカイアリーナと愛称される箕面市立総合運動場(体育館)。山の斜面に作られており、体育館への補助アプローチにエレベーターが付いている。

中池公園を中心にした溜池由来の4つの池があり、その一番東側の一番小さい池。

A徳尾の巡礼地蔵。勝尾寺→中山寺の巡礼道の道標を箕面の山中で見たことがあるが、そのつながりか。

@正法寺。岳父丈母健在の折、法事はここで行われ、その意味ではなじみのあったお寺。境内の樹林は市の保護樹林となっている。もともと17世紀中葉大阪は中津に創建され昭和42年当地に移転したという。

冒頭のカン違いがなければ、今日はこのコースの南に位置する桜ヶ丘西小路の6つのポイントを経て箕面駅に帰り着く予定だった。ま、急ぐ話ではなし、後日にすべえ。

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら