滋賀郡の式内社八座は完歩  2019年11月7日

♣ 独 行“大津市内の式内社落穂拾い” ♣

1ヵ月ぶりで近江路散策。いま朝ドラでは信楽がブームだが、式内社歩きにとっては山の上の飯道神社しかないのが悩み。幸か不幸か陶器には興味のかけらもない無粋人ときているので。
ㅤそれはともかく、大石の在などこういうことでもなければ足を踏み入れることはなかったろう。でもいいところだった。もう少し若ければ、天ケ瀬ダムに足を向けただろう。?、無理?、言うだけは言わして呉れ。

JR石山駅からの京阪バスC番の終点「大石小学校」。閲した時間23分。

お召バス。最終ここで下車したのは乃公を入れて2名

佐久奈度神社参道

同社手水舎

今日の第1ターゲット・式内社 佐久奈度さくなど神社(名神大)。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。祭神は瀬織津姫命、速秋津姫命、気吹戸主命、及び速佐須良姫命(総称して祓戸大神とも)

壮麗な本殿を覗拝観

Sample

社殿右手に坐す境内社・焼鎌やきがま社と敏鎌とがま社。左手には八幡社と稲荷社があった。

境内から鹿跳ししとび橋を望む。背後は妙見山(202m)

何故か笑顔の狛犬さん「ア」

元々この駐車場に社殿があったが昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い水没地となり現在地に移転したという。

これ1枚撮って11時11分のバスに間に合った。因みにこの路線ダイヤお昼間は1時間4本。

バス車窓から瀬田川洗堰あらいぜきを望む。名前は夙に承知の助だが実見するのは初めて。

京阪電車石山坂本線終点石山寺駅に電車が入線。ここで電車に乗り換える。

そう、坂本に正午に着いたら鶴㐂そばと決まっている(笑)。

肚拵えはにしんそば。順番待ち。代金税別壹仟參拾圓也。

肚がくちくなったら、今日初めての道辿り。鶴㐂そばの前の道を右、つまり南へと歩き出す。R***というような道でないことでホッとするが、道標の類が見事に無いため手持ちのプリントMapに頼るしかない。ところがそのGoogleMapのプリントって何とも大雑把。こうなったら得意の“勘”にたよるしかないではないか。

「坂本大観音」とその看板に目がテンになり、この「倭神社」の碑があったことに気付いたのは事後だった。情けない。でもここを右折して一発で参拝できたのでよしとしようか。

本殿前の灯籠。当社は「森本神社」の名称で日吉大社社外百八社の一つだという。灯籠下部に「森本大明神」とある。

(承前)実はこれ、今日の第2ターゲット・ やまと神社。左から社頭鳥居、舞殿、本殿。祭神は日本武尊。「しどり」さんとも呼ぶというWEB上の記事を見かけたが滋賀里坐のお社との混同か?式内「倭神社」論社の一。(鳥居前の石段に座ってたご老人、動く気配が無かったので写しちゃったヨ)

何の変哲もない道路をたどるほど退屈なものはない。だから、というわけではないがついついこういう標識にも足が止まりシャッターを切ってしまう。曰く、野添古墳群。帰宅後調べるとNet上では「穴太あのう野添古墳群」としてあるのが殆どだったが、古墳時代後期の群集墳で総数150余基を数えるという。京阪電車穴太駅の北すぐで、二つの倭神社のちょうど真ん中地点。四ツ谷川が山地から出たところに分布する。

社頭のケヤキの巨樹。反対側のクスノキとともに市の保護樹木。

今日の第3ターゲット・ しどり神社。左から社頭鳥居、拝所と覆屋、覆屋内の本殿。式内「倭神社」論社の一。祭神不詳なるも天智天皇皇后倭姫と伝える。鎮座まします小丘は赤塚古墳。古墳時代中期の前方後円墳若しくは円墳と言われる。ここでも鳥居前に男女合わせて3人坐ってお話し中。幸い少し距離が空いていたので外せた)

JR唐崎駅へ向う。途中R161の入り口で見かけた「白髭大明神」の碑。白髭さんはここから西近江路沿いに30km余り北だ。

14:15。少々早目だが帰るとしようか。高曇りとは言い条、陽光がないと意気が上がらない。

唐崎駅プラットフォームから紅葉並木道を望む。あの先の方にその昔 同志社の唐崎ハウスがあった筈だよ、な?

電車に乗ってからガラケーのソフトで阪急バスJR茨木BS発千里中央行きを探したが、なんぼやっても16時以前には運航が無いとしか出ない。仕方がないので乗換2回で岸辺経由で帰ったのだが、PCで調べるとちゃんと1時間1本ある。あのくそったれなソフト奴、以前クレームを出したのにまだ訂正されていないようだ。・・・スマホ要るのかなァ

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   坂本〜唐崎のルートマップはこちら