久しぶりの式内社探訪  2018年2月23日

♣ 独 行“茨木市宿久庄から清水へ” ♣

その気は無かったと言えば嘘になるが、少なくとも今日は高齢者健診があって息子の病院へ行って、それでおしまいにする積りだった。しかし青い空を久しぶりに見たらあえなくその「積り」は潰え、“歩こう”。
ㅤ予定のバスを1本早め、危ういタイミングの乗換も見事にクリアして、息子への伝言も箇条書き(?)。13時過ぎには既にWalkingモードに入っていたというから性というものは恐ろしい。(別に恐ろしくないか)

ここは箕面の端っこ。勝尾寺川の支流にかかる橋から彩都西駅方面

目を左に移すとSR病院や阪大外国語学部。遠く箕面連山。

程なく茨木市に入る。宿久庄の在は梅そろそろ。

こちらは紅梅。(青空大好き!)

梅を撮ったあとで道が畦道になり、見当がつかなくなる。農機具小屋で一服していたオッチャンに聞いた。「須久久神社は?」。『こっち(東)でも行けるけどこっち(南)の方が分かり易い。家並みを抜けたら車道に出るのでそれを東行。梅花〔これはどうも摂陵の間違いらしかった。梅花道まで行ったら行き過ぎ〕への道を越えてすぐ左折したら良い。以前は左折するところに鳥居があって目印になったのだが今はないのでわかるかな?去年の北摂地震で壊れてもた。いま再建の話が進んでいる』。丁寧な説明にお礼を言って、あとはGoogleMap頼りで近道をする。

やってきました久しぶり。社頭の神木とデカい社号碑が迎えて呉れました。須久久神社です。病院から約1.5km.

式内社・須久久すくく神社。左から社頭鳥居(二の鳥居)、拝殿、本殿(覆屋)。須久久神社二座(すくくのじんじゃにざ) 鍬靱。〔延喜式〕に出ず。宿久の庄にあり。(攝津名所圖會) ☆もう一座はこの後に訪れる春日神社。(延喜の時代より後に現在の清水の在に移り社名も変わった)

 

 

先程“地震で倒れた”という一の鳥居はこれ。1992年にたまたま通りかかって撮ったもの。扁額に「須久久神社」とあり間違いない。でもここを通るとき大分注意深く見たのだが鳥居の痕跡はなかったと思う。(乃公が見落としたのか、それともキレイに痕跡を消さはったのか)

そして西方へ約1km、転院の翌日この傍を通ったな、という・・

そう、式内社・新屋坐にいやにます天照御魂あまてるみたま神社。上は江戸時代 かの並河誠所によって建てられた社号碑。「新屋坐天照御魂社一座」「云」の偏が「鬼」の上に乗っている。。下は左から社頭鳥居、拝殿、本殿(覆屋)。攝津名所圖會に曰く 新屋坐天照御魂神社三座(にひやにいますあまてらすみたまのかみのやしろさんざ) 西川原村にあり。〔延喜式〕神名帳に曰く、名神大。月次、新嘗。就中天照御魂神一座。預相嘗祭云云。〔三代実録〕に曰く、貞観元年正月授従四位下。同五月新屋座天照神伴酒着神幷授正五位上云云。天照御魂神一座は西川原村にあり。近隣七箇村の生土神とす。一座は福井村にあり。今天王と称す。〔上梁文〕に曰く、天正十二年八月領主中川瀬平清秀三座を造営す。一座は上川原村にあり。称して天照太神といふ。清水村も亦祭祀を共にす。

さらにモノレールをくぐって西方へ約300mに坐す春日神社・・

 

 

前回訪れた時はこの通り不審火で無残な姿になっていた。(2010年晩夏)

それがこの通り見事に再建されていた。地域の氏子さんのお力によるものであろう。まずは慶賀至極。(左から社頭一の鳥居、再建なった拝殿、本殿(覆屋)。攝津名所圖會に曰く 「須久久神社二座(すくくのじんじゃにざ) 鍬靱。〔延喜式〕に出ず。宿久の庄にあり。山井清水(やまゐのしみづ) 宿久庄清水村にあり。甘泉寒暑に涸れず。」それが下記「月の清水跡」碑。社頭一の鳥居脇にある。

そんなこんなで14時30分頃には念願の3社参詣完了。みんなしっかりお願い事を申し上げた。
ㅤ清水の交差点で阪急バスを掴まえようとしたが、何故か西行きのBSが見当たらない。仕方なく豊川駅下のBSを目指すとここは彩都行きのBSしか見つからなかった。だんだんしんどくなってきて、結局モノレールの人となって帰途に就く。

今日の総歩数 不明    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら