老蘇森から安土城阯まで  2018年5月15日

♣ 独 行“安土の式内社を巡る” ♣

その昔H社工場にSさんというボイラー技術者が居られた。聞くともなく耳に入ったお住まいが湖東の「老蘇」。どう読むのか聞いたら「オイソ」だという。長い間心のどこかにしまい込まれていたこの記憶が蘇ったのが式内社巡り。安土の近くに奥谷神社というのがあってその鎮座地が老蘇。「おくたに」神社だと思っていたのが「オイソ」神社と知って決心した「このお社は行かなければならない」と。

また8年前のAZハイクで歩いたのが安土城阯から沙沙貴神社コース(参加出来ず)。このお宮のなんじゃもんじゃの満開が5月中旬と聞いては今日行くしかないではないか。

=JR安土駅(市民バス)=奥石神社バス停→奥石神社→バス停(市民バス)=安土町総合支所→沙沙貴神社→活津彦根神社→石部神社→新宮神社→JR安土駅=

11時。安土駅のフォームはがらがら。駅前の市民バス停留所界隈も人がいない。見ると「一乗車200円」。umh、御所のコミュニティバスは安かった喃。

「老蘇・金田コース」の市民バスで奥石神社前まで運んでもらう。歩けない距離ではないが、御所以後“これもあり”か。(安土駅→奥石神社往復7.2km。)

奥石神社境内を含む老蘇おいその森は、今や一部を新幹線によってぶっちぎられて二つに切り離されている。それを併せて考えても広大なものだが、往古はもっと広かったのだと伝える。《後拾遺集》巻三 大江公資朝臣 ♪東路の思ひ出にせむ郭公おひその杜の夜はのひとこゑ♪【近江名所圖會】老蘓杜(おひそのもり) 西生来のひがしに西老蘓東老蘓の二ヶ村あり。南老蘓は街道の南にあり。

Sample

今日の最初のターゲット、式内奥石おひそ神社。老蘇の森に坐す。奥石神社(おひそのじんじゃ) 老曾の両村にあり。延喜式内也。石をそと讀む事石上(いそのかみ)と同じこと也。祭神天津児屋根命。相殿に諏訪明神を祭る。此里の生土神とす。例祭三月初申日。鳥居額鎌宮と書す。いうなる由縁を知らず。生土子鎌を献ずるあり。【近江名所圖會】 中世以降「蒲生〔かまふ〕の宮」が転訛して〔かまのみや=鎌宮〕の呼称が生まれたという。真ん中の画像クリックでぶっ違いの鎌がそこここに見られる。

境内を彩るシャクナゲ。

社頭に並ぶ碑。左「式内神社/老蘇森」、右「安産守護 鎌宮」

バス停そばの道標「←陣屋小路」左面は「中山道 東老蘇」。そう、ここはかの「中山道」なのだ。

市民バスに再乗車、安土町総合支所で降りると田植え直前の田んぼの向こうに沙沙貴神社の杜(あそこまで約1km)。そう、せめて此処からは残り全部歩こう。

沙沙貴神社社頭。社殿はすべて南(東)面するのに、鳥居は東(北)面する、よくあるパターン。

今日の第Aターゲット、式内沙沙貴ささき神社。佐佐木源氏の氏神であり、この地に佐々木姓が発祥したと伝える。沙々貴神社(ささきのじんしゃ) 老曾より左の方十六町許にあり。延喜式内也。例祭四月初午日。祭神少彦名命。仁徳天皇、宇多天皇、敦實親王を併せ祭る。此敦實親王は宇多帝第九の皇子、近江源氏の祖神也。佐々木ある沙々貴とみる仮名也。正字鷦鷯と書く。仁徳帝の御諱を大鷦鷯尊(おゝさゝきのみこと)と申奉るより出るなり。(後略)【近江名所圖會】

Sample

威風堂々たる楼門は県指定有形文化財(本殿、透塀、中門、権殿、拝殿、東廻廊、西廻廊も同じ)。onmouse→目結紋は佐々木源氏姓の象徴。

なんじゃもんじゃの木。これが結構有名。

なんじゃもんじゃは通称で、正式名は「ヒトツバタゴ(一つ葉田子)」と言い、モクセイの仲間なのだそうな。5月中旬が花の盛りという。それを頼りに今日来たのに、、と言ったって仕方がないか。話によると今年は花期が早く訪れて上旬が見頃だったのだとか。

日蔭に腰を下ろしてしばらく安土城下への道を探る。ここからはそう都合のよいバスがありそうにも無いし、初志貫徹(貫徹か?)歩き通そう。幸いこの辺の道は斜めになってはいるものの条里制の残る地区。北北西に進路を取り、JR踏切をわたって駅前で左折すると西の湖岸までまっすぐ2km余。その辺だ。

活津彦根いくつひこね神社。後述の新宮神社も同様、この立派な拝殿は何事か。WEBサイトで“滋賀県ではこれが当たり前なのか”と書いていたが、そう思いそうになる。彦根という字で彦根市関係と思ってはいけない。祭神活津日子根命は天照大神の第四子。因みに当社は式内社ではない。

活津彦根神社を出て左に眼を転じると正面に安土山。遠目には右後ろに控える繖山(432m)に飲み込まれてしまうような低山(198m)だが、これこそかの織田信長が安土城を築いた現場。

山のふもとに辿りつくと川を渡る橋が百々どど橋。正面の石段が城址への登り口かと思ったらそうではなくて、、

石段真正面に「告/此処より安土城跡えの入山は出来ません/右約三百米先/大手道口より入山して下さい/山主 ハ見寺という告知板があった。実は今日の式内社巡り最終目的地はこの石段を50段ほど上がったところに坐す。因みにハ見寺は安土山上の城跡にあり、三重塔や仁王門が国の重文となっている。標高差僅々80mということで“できれば”登城したかったのだが、その「僅々」が怖いことを十分体感している乃公はこの「安土城阯」標識で登ったことにした。

今日の最終(式内社第B)ターゲット、石部いそべ神社。式内石部神社論社の一。境内の苔の生え方、落葉の積もり方で、このお社の置かれている位置をついつい想像してしまった。いままで巡った数十の湖東の式内社でこれほど寂れたお社はなかった。信長築城時に守護神として奉じたというのが眉唾に聞こえてしまう。

磐座信仰の名残りか、鳥居のそばに注連縄をめぐらせて坐す巨石。

境内から木の間隠れに琵琶湖の数少ない内湖である西の湖を望む。遠く八幡山。左向こうの樹叢は先刻訪れた活津彦根神社。

山を下りて百々橋を渡るその目の前に大きな杜が拡がる。GoogleMapでみると新宮神社。聞いたことがないお社なのだが、帰途そばを通るので何気なく覗いてみたら、、

新宮しんぐう神社。当社は式内社ではないのだが、その拝殿におもわず息をのむ。先程の活津彦根神社の豪壮とも称すべき拝殿とは若干異なるが、本殿を圧倒するその規模そして存在感。たしかに畿内の式内社を巡っていて、大きなお社であってもこんな拝殿はまず見当たらない。近江路独特なのかなと繰り返し呟いたことである。

さ、ここから駅まで道なり真っ直ぐ。道なりと言わずとも遥か向こうが見えている。これが条里制の名残りでなくて何であろう。JR線路際まで真っすぐ歩いて安土駅。午餐をしたためる気にならずまたその場所も駅前以外にはなく、駅前到着時には「帰ろ」ということでペットボトル1本を飲み干しただけで電車の人となる。気が付くと帽子に汗が染み、乾いて塩が吹いていた。お疲れ様。

今日の総歩数 ACCUPEDE 5,372歩(5.2km換算+α→約8,000歩)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら