鳥見山麓に坐す式内社を巡る  2017年12月5日

♣ 独 行“城上郡の式内社を歩く” ♣

等彌神社や若櫻神社を略2年前、長谷寺周辺を今年9月に行ってポッカリ穴の開いたのがここ忍坂あたり。以下の文章では「オシサカ」とルビを振ったが、「オシザカ」というのもあり「オサカ」という説もあり、今地元では「オッサカ」と呼ぶという。それ同様に「忍坂」のほか桜井市の案内表示で「押坂」、大和名所図会には「恩坂」と記す。という訳の分からないものが渦巻いたまま 鶴橋12:55急行を目の前で逃し半時間近くホーム待機。アーア

近鉄大和朝倉駅→忍坂坐生根神社→忍坂山口坐神社→宗像神社→近鉄桜井駅

今まで遅くても11時台には歩き出していたが今日は14:14。

大和朝倉駅南口。雨はないが分厚い雲のせいで暗い。

朝倉台という新興住宅地の北縁に位置する朝倉台2号公園。中は忍坂古墳群が主体という。パス。

今日の最初のターゲット・忍坂坐生根おしさかにますいくね神社。とんだドジで拝殿の近接写真を撮り損ねた。こんなことって初めて。恩坂坐生根神社(おしざかにいますいくねのかみのやしろ) 恩坂村にあり。〔神名帳〕及び〔三代實録〕に出づ。【大和名所図会】 WEBから1枚借用した。謝。

境内のほぼ中央に使われていないらしい急な細い石段があり、上に勧請吊が張られていた。

道を戻り目を上げると、川を隔てて西に社叢らしきものが。

2つ目のターゲット・忍坂山口坐おしさかのやまぐちにます神社。拝殿の奥は竹林で本殿の位置には右のような石が据えられているだけ。さして丁寧に扱われている訳でもなさそうで、今日の不思議の一つ。恩坂山口坐神社(おしざかやまぐちにいますかみのやしろ) 赤尾村にあり。今天一神と称す。〔神名帳〕及び〔三代實録〕に出づ。【大和名所図会】

境内にそびえる楠の木は桜井市指定文化財。この木は二代目で、初代は金閣寺創建時にその天井板に用いられたとする伝承を持つ。

左はその楠の木。右は拝殿奥の社叢中目を惹く高木。「山口神社」という名を冠したお社が用材伐り出しの山に祀られたとも聞いたことがある。これらの巨木が神奈備であったのかも知れないテ。

忍坂集落を北に出外れて西行するとまもなく外山集落。これを「トビ」と読める人がどれだけ居るだろうか。乃公も?だった一人。閑話休題。R165上から吃驚するようなデカい社名標石“登美山鎮座 宗像神社”が現れて、最終のターゲット到着。鳥見山の北麓に坐すので「登美山鎮座」。転訛して地名が外山(とび)か。

今日の第3ターゲット・宗像むなかた神社。鳥居は北面し社殿は西面する。宗像神社(むなかたのかみのやしろ)三座 外山村にあり。今春日と称す。〔神名帳〕に、及び〔三代實録〕に出づ。【大和名所図会】 祭神は九州由来の宗像三女神(多紀理毘売命、市寸嶋比売命、田寸津比売命)。ささやかな3祠はおそらくそれを祀るのだろう。

改めて気付いたが、R165から降りてきたものの、本来の参道はその下をくぐる。折しも下校途中の小学生が二人。

参道(右方向)のドン突き。遠く外鎌とかま山東望。別名朝倉富士。

外山集落の象徴(乃公独断)桜井茶臼山古墳後円部。墳丘長207m。国の史跡。前の2軒の家は全く関係ない。

桜井の旧街道を延々1.6km西行してJR・近鉄桜井駅。少し歩き足りないが、文殊院に行くには時間が遅い。12月の3時半は夕暮れ。

そう、「とび」といえば神武天皇が熊野から「鳶(とび)」に導かれて大和(宇陀)入りした伝承もあり、地域的に近い。いや、違った。あれは「八咫烏」つまり「カラス」だった。。。アーア思考的にてんでバラバラのまま本稿を閉じる。

今日の総歩数 8,700歩余    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら