南都を東西横断してきました  2017年2月28日

♣ 独 行“奈良市内の式内社落穂ひろい” ♣

やや羊頭狗肉の感無きにしもあらずだが、南都、すなわち奈良を10kmにわたって横断してきました、というのがタイトルの趣旨。奈良盆地は東西 特に西にもう少しある訳だがそこは固いこと言わない。御前原石立命神社は山の辺の道に向っての傾斜の途中にある。ここと穴栗神社はJR京終駅・帯解駅から同じくらいと中途半端、大安寺はJR大和路線と桜井線が分かれた間にあって最寄り駅がない、高橋神社も同様、と。その辺を拾って繋いだという苦心の結果なので、まさに罰当たり的なサブタイトルのネーミングも一つご了解願いたい。

桜井線京終きょうばて駅に降り立ったのが 11:24。電車は2両編成。

岩井川を渡って古市町にはいったところにある油掛地蔵(左)。“ならの町”と“田舎”の境だったという。近くに三宝荒神社など(右)もあり、特殊視されていた地区だったのではないか。

京終駅から南東へ2.5km。いったん下がってから山の辺へ僅かながら登り返す。半時間近くかけてようやく到着。

今日の第@ターゲット・御前原石立命みさきはらのいわたつのみこと神社。式内御前社ミサキノ(原)石立命イワタツノミコト神社の論社。左から社頭、拝殿、本殿域。小さな丘を背にすべて西面する。

同神社社叢。そう、これはピンボケとかカメラぶれなどではなく、水彩画調設定にしてしまったことによる画面なのである。四十有余枚すべて。斯くほど左様に今日の失敗は残念至極。PC処理するまで気付かなかったというドジ。これはこれで面白いといわば言え。撮った本人は面白くも可笑しくも何ともない。 喝!

前社からほぼ西1km弱の位置に坐す本日の第Aターゲット・穴栗あなぐり神社。式内穴吹あなぶき神社の論社。当社はこのほか、穴次あなつぎ神社・穴咋あなくい神社とも称せられたという。左から東面する一の鳥居(通せんぼがしてあった)、そして南面する拝殿と本殿。西口の元社頭と思しきところに「穴栗四社大明神」との碑があった。【大和名所圖會】穴次神社(あなつぎのじんじゃ) 古市村にあり。〔神名帳〕に出づ。隣村横井獨祭祀を預る。

西側から望む穴栗社の社叢。(これも原画のまま)

今日の予定はあと1社だけなので、「神と仏の道を歩く」所載大和28社寺中未訪6カ所のうちの一つ・大安寺を目指す。北西3.3km約40分。しかし途中でもう「大安寺」なる町名表示が出てきて、その大きさ・広さにあらためて感じ入る。何せ南都七大寺の一つで、平城京に移された時点ではとてつもない大きさだったというのだから。

(左上から)大安寺南門、十三重の石塔、本堂(東面する)、本堂前の香炉。

寺の南側に咲く白梅。(間違いなく“白梅”です)

八幡神社(元大安寺の鎮守)の社叢を隔てて南方約200mに位置する七重塔(東塔)跡。南都七大寺中七重塔をもつのは当寺と東大寺だけであったと伝える。遠く若草山。

大安寺からいったん八条通に出るが、いろんな小さいお社(推古天皇社、御霊神社)、大乗院門跡大安寺墓所、更には大安寺の名を冠する小学校や交番やマンションなどいろいろ目にしていると、ラビリンスに迷い込んだような錯覚に陥る。佐保川を渡って少し堤沿いに南行すると今日最後のターゲットとなるお社だ。

Sample

本日3社目にして最終ターゲット・式内高橋たかはし神社。高橋氏のルーツのお社というので期待をしていたら想像を絶するささやかなお社であった。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。社殿は全て南面する。

高橋神社全景。右は佐保川堤防。

そして西方・平成の大改造中の東塔の覆屋を目指して歩くこと2km余、拝観料を始末したのか、それとも腹の命令に従ったのか判然としないが、南門の前から西塔、金堂、大講堂、東塔覆屋を拝して一路近鉄西ノ京駅へ向かったのであった。14:45。

大和国添上郡 はこれで都祁方面を除いてほぼクリアした。かくして本日予定終了。例によってお菓子程度しか口にしなかったお腹空かし爺は、西大寺のエキナカでおいしいパンを食して帰途に就いた。

今日の総歩数 17,201歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら