今宮神社から下鴨神社へ  2016年10月4日

♣ 独 行“山城国愛宕郡式内社をゆく(続々)” ♣

かねて準備していたコースで、有名なのに“序で”がなくて見送っていた今宮さん、孤島のようにポツンと坐す岩上社、母校の傍なのに全く足が向かなかった大聖寺、そして境内に無数の摂社・末社を抱える下鴨神社の落穂ひろい と、今日はある意味興味津々の歩きであった。コースはなぜか直線の連続。北大路駅北出口から西へ1.7km一直線で今宮神社東門。南楼門から船岡山を巻いて道なり南1.8kmに岩上神社。ここから上立売通りを1.5km東進して大聖寺。同志社を抜け、出町柳から下鴨神社まで合計7.5km。街中歩きは自然に乏しいとか排気ガスとかいろいろ言われるが、4年間過ごした上、何かにつけてしょっちゅう訪れている京都なのに知らないところが多すぎる。八十爺になってなお興味津々と歩くことが出来る所以である。

まず最初にお断り。“山城の式内社巡り”と銘は打ったものの、今宮神社は「神と仏の道を歩く」収載の有名社寺であるが何故か「式内社」ではない。祭神は大己貴おおなむちの命、事代主ことしろぬしの命そして奇稲田姫くしなだひめの命。

東門前に向かい合う2軒の「あぶり餅」屋さん。“有名なんだ”とは帰ってから知った。買いそびれた。

東門。門構えが寺院風なのはどうしたことか。おまけに定規線の引かれた築地塀も。まるでお寺だヨ。

舞殿様の拝殿

本社社殿

↑楼門(南門)。ここから南へ約500m続く参道は、大徳寺の西を掠めて約500mで船岡山に至る↓。

大徳寺。左は西参道入口。右は瓦を埋め込んだ築地塀。遠く船岡山、赤いのは今宮神社一の鳥居。

府立紫野高校。何人かの知人がここを母校とする。

船岡山に坐す建勲神社社頭の大鳥居。白木造。

更に1km南下して、岩上いわがみ神社。式内社・大柴神社の論社というが、社頭の説明版にも、はてはネット上でもそれを裏付けるものが見つからない(乃公には調べる術がない。眉唾物なのかもしれない)。専らご祭神の霊石(岩神さん)にまつわる怪異譚・奇異譚が有名。

同志社の西、烏丸通に面する大聖寺だいしょうじ門跡。「神と仏の道を歩く」60社90寺の一。背後に同志社寒梅館。

同志社西門を入って旧態に復した元中学校の彰栄館などを見ながらお昼のキャンパスを抜ける。相国寺門前から桝形の商店街を通り出町橋を渡って下鴨神社に入る。

賀茂御祖かもみおや神社の境内摂社である河合神社の末社・任部社とうべのやしろ。式内社・鴨川合坐小社宅かものかわあいにますおこそべ神社の論社。祭神が八咫烏命ということでサッカー界の崇敬篤く、サイン入りのサッカーボールが8個奉納されていた。
 因みに河合神社も小社宅神社の論社と承知していたのだが、某サイトで実は「河合神社」は小社宅神社の「通称」なのだという説を見かけ、混乱している。【参照

上記に同じく河合神社の末社・諏訪社すわのやしろ。式内・須波すわ神社の論社の一。末社六社の再右端に坐す。三井神社末社の諏訪社(上ノ諏訪)に対し「下ノ諏訪」と呼ばれるという。

賀茂御祖神社の境内摂社 式内・出雲井於いづもいお神社。この神社の周囲に植えられた木はどのような葉も柊のようにギザギザになることから「比良木ひらぎ社」ともいう。(と書いてあった)

賀茂御祖神社の境内摂社三井みつい神社(写真左と中:式内・三井神社)及び同社末社である諏訪すわ社(上ノ諏訪:式内・須波神社の論社)=写真右に3社並ぶうちの右端のお社。

ということで下鴨神社内の摂社・末社調べ完了。と思ったら1社抜けていた。いや、抜けていたのではなく、探しても境内図を見ても存在が確認できなかったというのが本当の話。末刀まと神社の論社の一とされる「賀茂御祖神社境内末社愛宕社」である。今後の課題。

以上で本日の予定終了。地下鉄で見かけた「旧三井家下鴨別邸/平成28年10月1日より初公開!」というポスターが気になり、下鴨神社の南ということで通りすがりでもあり、立ち寄ってみた。

三階に望楼のついた瀟洒な和風建築。左下は玄関(車寄せ)。入場したら庭園なども拝観できたらしい(→京都市観光協会サイト)が、靴を脱ぐのが億劫で玄関先で失礼した。イヤ、決して410円也の入場料をケチったわけではない。Believe me!

下鴨神社こと賀茂御祖神社一の鳥居の抜けると出町柳駅は目と鼻の先。写真の鳥居手前左が旧三井家別邸の入口。

今日の総歩数 17,425 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら