希望ヶ丘から余野まで  2016年7月11日

♣ 独 行“式内・走落はしりおち神社再訪” ♣

"希望ヶ丘から余野まで"と書いてしまうと話はそこまで。何せバス停二つ向こうっていったら普通街中では見えている距離だ。それを「ハイキング」にしたのは一つに人気ひとけの無さ。終点で降りたのは乃公の他、地の人とおぼしきおばさん二人、これがあっという間にどこかへ(多分お家へ)消えてしまった。二つ目は時刻。夏至から1ヵ月経っていない日の正午前というのは影がなく、南北が判り辛い。そしてNexusの不調。GoogleMapが半分以上表示されなくってはもう視覚障害の人と変わらない。

そのスタート地点がここ。ここで正直10分ほどうろうろしていたが、人っ子一人通らず、車も。二街区ほどあらぬ方を彷徨し、最終思い出したのが、終点過ぎで回送になったバスが行った方向。あっちかな?

“あっちかな?”は正解であった。これをカンと言わば云え。。。木代への下り道はここも人・車なく、しばし憩いのプロムナード。

木代の道端に石屋さんの広告。ドラえもんは石に間違いなかったのだが、信楽風のタヌキとくれば陶器と思ってしまった。よく考えてみると、石屋の広告に焼物を使うかな?はたして真実や如何に?

その昔走り湯神社と称されたとか、鎮座地はこの奥の切畑在だったとか、いろんな話を抱え込んで 今この在に坐す。石造鳥居が三つ重なるのも珍しい。

手前の小山越しに見えていた鎮守さんの社叢。杉の巨木だ。

そんな伝説があるのはこの社殿がさして古くないことの証左かもしれない。拝殿。

じつに立派な、威厳に満ちた本殿社屋。

拝殿前にて。手水舎前に赤いツルリとした立派な石があったので、そこでお昼をつかわせていただく。

阪急バス余野停留所のそばは町の公民館。たまたま今日休館日だったので玄関に座らせてもらう。通る風が涼しい。目の前の幟旗は地元出身のキリシタン大名・高山右近がローマ法王庁から福者列聖された(この1月)ことを喜ぶもの。

時間があったので町の歴史資料館を覗くがここも本日休館。時間をつぶして乗ったのが北摂霊園・勝尾寺経由千里中央行き特急バス。高山まで貸し切り。高山で1人。霊園のあちこちで都合十数人、勝尾寺で10人くらい。ということで“このルートが路線バス?”という危惧は吹っ飛んだ。ウィークデーなのに結構お客さん居るもんだ。