鏡作は但馬と石見の間に  2015年12月16日

♣ 独 行“ヤマトの但馬からヤマトの石見へ” ♣

さあ大和に本腰を入れて、という段階でなぜ“鏡作”なのか、それは一にかかって近鉄田原本線に乗ってみたかったことに尽きるだろう。JRの王寺駅西口そばに近鉄王寺駅、さて近鉄新王寺駅はどこだろうと正直不安だった。僅々4分の乗り換え時間で、と心配したが、案ずるより生むがやすしとはよく言ったもの。

 ▲なお、お社記事に特化したページは      ▼大和の式内社一覧ページは

新王寺駅 Click→normalize (Wikipediaより拝借)

新王寺駅から5つ目が但馬(たじま)駅。あと2つで橿原線乗換の西田原本に着くという位置。無人駅。

降りて南へ歩き出すと予想しない社叢が見えてきて「杵築神社」。この名前のお社は県下に結構多いらしいが。今回の対象ではない。(杵築大社は出雲大社の旧名)

飛鳥川を渡る。

式内社巡り、今日の最初のターゲットは 富都(ふつ)神社。

社頭の灯籠に「牛頭天皇」と刻まれている。祭神タケミカヅチや霊剣・フツノミタマ伝承が失われてしまった時代をうかがわせる。

南東1.6km、見えてきたのがこの水路。「え?」 そう、田原本町保津(ほつ)は知る人ぞ知る環濠集落。

ぐるぐる回って集落の中に入り北向きの鳥居をくぐると社殿が西を向いている。ここが二つ目のターゲット・鏡作伊多(かがみつくりいた)神社

保津集落の道の真ん中にコンクリで蓋をしたのが往時の環濠(水路)跡だろう。向こうにもう一つの鏡作伊多神社の社叢が見える。

そのもう一つの鏡作伊多神社(今日のターゲットB)。ここは保津集落と北へ道一つ隔てた宮古の在で、旧くは十市郡(保津は城下郡)だったという。近くなのだがこっちは人家には遠く、そばに大きな池があって雰囲気は寂しい。

近鉄の踏切を二つ(田原本線と橿原線)渡って東北方向へ1.5km、寺川の左岸に見えてきたお社二つ。右は”正一位豊雛大明神”、左が→

今日のターゲットC・鏡作坐天照御魂(かがみつくりにますあまてるみたま)神社拝殿。

後ろに見える池から発見されたという石。鏡面の研磨に使われたのではないか、と。(そんな大切な物だったら博物館行きだろう=独り言)

境内の鐘楼。真言宗の寺があった名残という。

鐘楼前の大イチョウ。

寺川を渡る。

川を挟んで相対して坐す今日のターゲットD・鏡作麻気(かがみつくりまけ)神社。(“大神社”だと!=独り言)

境内にある観音堂。もと神宮寺か?

当社の社叢。という割にはアプローチが最悪であった。

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田んぼのむこうに異様な構築物。ヤ、ヤ、あれは唐古遺跡ではないか?

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法貴寺の街角に石碑があった。「すぐ 三ハ(三輪)/はせ(長谷)」

そして今日のターゲットE・池坐朝霧黄幡比賣(いけにますあさぎりきばたひめ)神社。大和川左岸堤上に坐す。

境内左手(西側)に四脚門、そして振り向くと、

この寺院・千万院がある。この佇まいは鏡作麻気神社の観音堂と同じ。

千万院境内 もしくは 池坐朝霧黄幡比賣神社境内 の片隅にて。

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大和川の旧流路は付け替えによって今は公園になっている。

1.2km歩いて唐古池のそばを通る。先ほど見たのはまさしくこの楼閣。

更に1.5km西北行して今日最終ターゲット・鏡作神社。“鏡作”を冠したお社がこの田原本周辺に集中し、7社中5社がそれであった。

“すぐ”近鉄橿原線石見(いわみ)駅。いったん西大寺方面ホームにあがったものの、八木回りが早いと気づいて乗り場変更。帰途に就く。

それにしても天気が悪いと下手な写真が一層下手に見える。こうやって編集していても“せいがない”こと夥しい。雨が降らず寒くもなかったこと、そして何よりも、式内社7社を巡ることが出来たことでよしとしよう。

今日の総歩数 15,375 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら